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祭り情報

裸祭り



祭りにはさまざまな種類がありますが、その中でも特に迫力があり、見た目のインパクトも抜群なのが「裸祭り」です。ふんどし一丁の男たちがひしめき合い、お互いの肉体をぶつけ合う非常に豪快な祭りですが、どうして裸で行なわれているのでしょうか。

裸祭りの由来

裸祭りの由来

そもそもどうして裸になるのかというと、「裸」とは人が生まれたままの無垢な姿であるからです。古来より生まれたままの姿は、赤子同様穢れをまとっていない神聖なものとされていました。それでも祭事の際には事前に体を清め、穢れを払っておく必要があったのですが、それこそが「禊」「水垢離(みずごり)」と呼ばれる冷たい水によって体を洗い流す神事の1つであり、裸祭りの原型ともなったものです。

修行で滝にうたれたり、神社に参拝する前は手を水で洗うように、水は自分の穢れを洗い流してくれる霊的な力のあるものとして知られていました。裸で水を頭からかぶることは、心身ともに清潔な状態で神様と対峙するための重要な神事の一環として行なわれていたのですが、この部分が強調され独立し、他の民俗行事などと結びついて、新たな意味を持つようになったものが現在の裸祭りだといいます。

現代の裸祭りには途中で水をかけたりお互いに競いあったりするものが多くありますが、これは体の滑りをよくしケガの防止につなげるためではなく、神前で体を清めるというもともとの目的に由来しているのです。

色々な裸祭り

色々な裸祭り

もともとは体を清める禊の1つであった裸祭りですが、現在裸祭りと呼ばれている祭りの中にはさまざまな目的と種類があります。「日本三大裸祭り」とも呼ばれている「若宮八幡宮裸祭り」、「防府天満宮の裸坊祭り」、「西大寺の会陽」、この三つの裸祭りがどんなものか確認し、その違いを見てみましょう。

大分県で毎年10~11月に行なわれる「若宮八幡宮裸祭り」ですが、この裸祭りの見どころは、ふんどし一丁の若者たちが神輿を担ぎながら市内中央を流れる「桂川」の中を寒風の中煉り歩き、若宮八幡本宮から対岸の下宮へと渡る「川渡し」と呼ばれるものです。この祭りは豊作を感謝するもので、この川渡しもその一環として行なわれているのですが、裸になって水の中を渡る、という部分に禊の名残が見て取れます。

山口県で毎年11月に行なわれる「防府天満宮の裸坊祭り」。若宮八幡同様、裸に白装束をまとった男たちが神輿を担いで練り歩く祭りですが、こちらは豊作感謝ではなく神社に縁がある菅原道真公の御霊を供養するために行なわれています。この祭りは近くの川で身を清め、裸になって自分たちが清浄だと証明をした氏子たちによって神輿が担がれたことで「裸坊祭り」と呼ばれるようになったそうです。

最後に岡山県で毎年2月に行なわれる「西大寺の会陽」ですが、これは会場に何千という数の裸の男たちが詰めより、その中に投げこまれる二本の「神木」を奪い合うという壮絶なものです。この祭りはもともと仏教行事の修正会であり、昔ご利益があるという守護札を参拝者に配ろうとしたところ、その数があまりに多かったため、やむなく参拝者たちの頭上に札を投下すると奪い合いが始まってしまったのですが、その際に皆体の自由を得るため裸になったことが由来とされています。神木はこの守護札に由来するものであり、手に入れると一年を幸せに過ごすことができるといわれているため、男たちはもみくちゃになっての奪い合いを展開するのです。前二者の神輿とは全く異なる趣向を持ったこの行事ですが、こういった裸同士のぶつかりあい・ご利益を求めての競い合いは裸祭り内ではメジャーな祭事の1つであり、日本各地で行なわれています。

これらのように「裸祭り」と一口に言っても、単に裸になってなにかをする、というだけではなく、祭事もその目的も寺社によって異なるのです。

身も心も裸になって

身も心も裸になって

裸祭りと聞くといかにも荒々しそうで少しひいてしまうかもしれませんが、それぞれがれっきとした由来を持つ神事であり、穢れのない身と心を神様に示すために始まったものです。他の祭りと同様、臆することも恥ずかしがることもなく肌色の海の中に飛び込み、穢れのない体で神様からのご利益を手にしましょう。