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祭りと伝統芸能「流鏑馬(やぶさめ)」



「流鏑馬(やぶさめ)」とは主に神社の祭事などで行なわれている、騎手が疾走する馬に乗りながら的に向けて矢を射るという日本古来の伝統武芸であり神事の1つです。その勇壮な様子は日本の祭事としてだけでなく、世界中の人の心を捉えています。

流鏑馬の出で立ち

流鏑馬の出で立ち

流鏑馬射手の出で立ちは「揚装束」といわれる鎌倉時代の武将の狩装束で、立烏帽子、笠を被り、鎧直垂に射籠手を着け、夏鹿毛の行縢(むかばき)を履き、太刀を持ってえびらを負い弓矢を持つという重武装。当時は常に戦の危機であったため、すぐに戦場に向かえるようこの格好であったそうです。

流鏑馬に使われる矢は"鏑矢"と呼ばれる4枚羽で、大羽に鷲や鷹、小羽に山鳥の羽を使用し、鏑は朴の木製、矢尻には金属製の雁股がつけられています。この矢を騎手は走る馬の上から的を狙い射抜いていくのですが、走り抜ける馬場は約250mで、その中に立てられた3つの的を的確に射抜かなくてはならないとあって、騎手にはかなりの技術と正確さが要求されます。また古来よりの武芸ということもあり、数々の流派や尊ばなくてはならないたくさん礼法が存在する、格式高い神事であるということが言えるでしょう。

流鏑馬の歴史

この伝統武芸はいつ頃から行なわれるようになったのかというと、流鏑馬は元々平安から鎌倉時代にかけて武芸の中でも最高峰とされていた射技「騎射(馬術の弓術)」の稽古方法である「騎射三物」(流鏑馬・笠懸・犬追物)の1つでした。源頼朝公が鎌倉幕府を開いてからは「弓馬の修練をもって、武の技術を通じて精神の到達点とする」という武士の道義が確立され、射技において大的や草鹿など現在も伝わる流鏑馬の様式が生まれ、発展していきました。そして文治三年(1187年)に鶴岡八幡宮の放生会に頼朝公が催行したことをきっかけに、神事・儀式の一環として流鏑馬が行なわれるようになったといいます。

その後しばらく武芸としては衰退した時期が続きましたが、江戸時代に入り八代将軍徳川吉宗の命によって武士たちに流鏑馬・笠懸の稽古が再び行なわれるようになりました。また幕府の弓馬調練所のあった高田馬場では将軍の誕生や病気平癒の祈願として神事流鏑馬が度々行われるようになり、神事としての流鏑馬も広く認識されるようになっていきました。

明治以降も流鏑馬は重用され、アメリカの国賓を迎えた式典の中で行なわれたり、明治天皇の行幸の記念日に催されるなどさらにその活躍の場を広めて行きました。戦後には武道に関する行事がGHQの指示により禁止されるという危機が訪れましたが、流鏑馬は武道ではなく古来より続く日本文化を伝える神事であるとして催行を許可され、各地の神社で無事執り行なわれることとなりました。

現代の流鏑馬

こうして日本古来の伝統的神事として認められ、日本各地の神社で行なわれるようになった流鏑馬ですが、その活躍の場は世界にも広がっています。1986年に東京とパリとが姉妹友好都市となった記念にフランスで行なわれたことをきっかけに、ニュージーランドやイギリスでのイベントの際にも行なわれています。