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祭り情報

仙台七夕まつりなど宮城県の祭りの特色



宮城県といえば広大な土地と海に面した地形を持ち、それらの土地柄を活かした祭りが見られる一方、仙台と武将伊達政宗の人気も全国的に高く、祭りの由来の中にも彼らの影響が見られます。

地元の思い入れが詰った「仙台七夕まつり」

地元の思い入れが詰った「仙台七夕まつり」

仙台七夕まつりとは、七夕に縁の深い土地・仙台の各市街で行なわれる祭りです。商店街などのお店それぞれが切り出してきた長さ10メートル以上の巨大な竹に和紙で作られた豪華絢爛な装飾を施します。笹飾りで埋め尽くされた市街はまさに色彩の海そのものであり、風に揺られた短冊たちが風にそよぐ姿はとても涼しげで、夏の風物詩でもあります。

仙台では、伊達政宗が七夕についての和歌を詠み、祭りを推奨した記録もあるほど、昔から七夕という行事が盛んな地域でした。また七夕祭りは、周期的に発生していた冷害を乗り越えるために、地域の人々が豊作を田の神に祈るための祭りだったという側面も持ち、仙台の人々にとって七夕は欠かせない風習として深く心に刻まれていました。「七つ飾り」と呼ばれている小物たちをはじめ、豪華絢爛な笹飾りたちはそれぞれお店の方たちが数ヵ月も前から手作りで準備するもので、中には数百万円もするものもあるといいます。幾重にも重なりたなびき合う繊細な和紙飾りが連なる商店街はまさに絶景で、普段とは全く異なる"祭り"の雰囲気を、街全体に醸し出しています。

海と陸で行なう「塩竈みなと祭」

日本三大船祭の1つに数えられる船祭で、塩竈市の塩竈神社・志波彦神社の神輿を船に乗せ、日本三景でもある松島湾を巡行するという豪快な海上渡御が行なわれます。この祭りが始まったのは戦争が終わった昭和23年頃、疲弊した塩竈市の産業復興と市民の元気回復につながればという思いから始められました。

毎年7月の海の日に行なわれ、始めに両神社からそれぞれの神輿が202段に及ぶ石段を下って市内まで降りてきます。市内を通り桟橋までたどり着くと、塩竈神社の神輿が「鳳凰丸」、志波彦神社の神輿が「龍鳳丸」という龍と鳳凰の船首をあしらった船に奉安され、百隻に及ぶ供奉船とともに松島湾を巡行していきます。その勇壮かつ絢爛な様子は全国的にも有名で、雑誌の表紙やデザインに使用されたこともあるほどです。

巡行が行なわれている間、地上ではパレードが行なわれていますが、両船の凱旋後は再び神輿を担いで石段を上がり、神輿を神社境内まで送り届けて祭りは終了です。現在は祭りの前夜祭として花火大会が行なわれることもあり、海と陸が一体となった祭りとして塩竈市民に元気を与えてくれています。

春の訪れを知らせる「帆手祭(ほてまつり)」「花祭」

塩竈神社では夏にみなと祭が行なわれますが、3月と4月には同じく大迫力を誇る「帆手祭」「花祭」が催されています。どちらの祭りも重さ1トンにも及ぶお神輿がかかげられ、500を超えるお供や稚児行列を従え街中を御神幸するというものですが、帆手祭は日本三大荒神輿に数えられるほど猛々しい渡御(とぎょ)で知られており、みなと祭同様202段の石段を昇り降りする姿は迫力満点です。

帆手祭は天和2年(1682年)に塩竃が大火に見舞われた際に炎の鎮火と町の復興を祈って「火伏祭」として始められたものであり、元々は正月の神輿洗い行事でした。一方、花祭は江戸の中頃に凶作が続き住民たちが困って神社に祈願したところ、気候も回復し作物も再び収穫できるようになったという逸話に由来し、豊穣を感謝するための渡御が戦後、桜の咲く時期に行なわれるようになったことから花祭と呼ばれるようになりました。白丁と呼ばれる白い装束に身を包み、覆面をして一切言葉を発さず静かに行なわれる渡御は他に類をみないものです。

戦後に始まったみなと祭と合わせこの三つの祭りは氏子三祭と呼ばれており、宮城県の代表的な祭りとなっています。