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祭り情報

とちぎ秋まつりなど栃木県の祭りの特色



栃木県は他県に囲まれた内陸県であることから、特色として祭りの中には他所との交流に起源を持つ一方、変わった伝承が見られるものも存在します。

栃木の歴史と魅力を伝える「とちぎ秋まつり」

栃木の歴史と魅力を伝える「とちぎ秋まつり」

とちぎ秋まつり」は栃木市で隔年毎に開催されている祭りで、市蔵の街大通りを舞台に豪華絢爛で様々な人形山車の巡行が行なわれます。装飾の美しさや人形の完成度もさることながら、「ぶっつけ」と呼ばれる山車同士での囃子の競い合いや手古舞、栃木市名物の紹介などのイベントも豊富です。

なぜ山車の巡行が行なわれるかというと、明治7年(1874)年に県庁構内で神武祭典が開かれることになったとき、倭町三丁目が東京日本橋の町内が所有する山王祭出御の静御前の山車を、泉町が宇都宮から諫鼓鶏の山車をそれぞれ購入し、祭典で披露したことが始まりとされています。このことをきっかけに栃木では人形山車への関心が強まり、祝典・祭典の際には各地域が大工や人形師に依頼して個性豊かな山車が作られるようになっていきました。元々とちぎ秋まつりは神武祭として開かれていましたが、会議所の祝典やご大典奉祝祭へと姿を変え、昭和12年(1937年)の市制施行祝賀をきっかけに現在の市発展の祭りとして行なわれるようになりました。

祭りには天照大神や建速須佐之男命など日本神話、神武天皇や大和武尊なの歴史上の人物、劉備玄徳や関羽雲長など三国志といった様々なモチーフの人形山車の他、町の成立や職業に関係したものなど様々な山車が街を踊りや囃子とともに練り歩き、栃木の歴史と魅力を伝えています。

大掛かりな野外劇が見ものの「山あげ祭」

山あげ祭」は那須市鳥山にて毎年7月に開催されている450年の歴史と伝統を持つ祭りであり、日本一の大きさを持つ野外劇でもあります。「山」とは歌舞伎や所作狂言(おどり)の舞台が演じられる際に用いられる背景のことであり、鳥山産の和紙をふんだんに使い制作されています。祭り中はこの山をいくつも使用して野外に舞台を作り上げ劇が上演されますが、一回の劇が終わるとまた別の場所に移動して舞台を組み立てる、という作業を3日かけて繰り返します。

当日は観客の前に作られた舞台から約100メートルの間に大山・中山(滝山)・前山・館・橋・波といった背景が遠近のバランスよく配置され、臨場感あふれる見事な山が組み立てられます。また、この山たちには仕掛けが施されており、劇中も木頭(指揮者)が打ち鳴らす拍子木を合図に様々な形に姿を変え、観客を湧かせます。演劇が終わると舞台上の道具や背景は全て片付けられ、次の公演場所まで移動して、また組立てとなるのですが、この作業には150人もの人出が必要であり、これを1日に何回も行なうことから一糸乱れぬチームワークが必要となります。

祭りの由来は永禄3年(1560年)に疫病が流行した際、当時の烏山城主那須資胤(なすすけたね)が災厄の消除を願って牛頭天王を八雲神社に歓請したことが始まりでした。山あげはこの八雲神社で祭神の訪れを歓迎するために行なわれていた祭事でしたが、次第に浄瑠璃歌舞伎や狂言、踊りとともに奉納されるようになり、舞台も壮大で多様なものになっていき、江戸時代には現在のような日本一を誇る野外舞台が出来上がっていたといいます。

伝統的な劇の内容もさることながら、流れるような山の移動と組立ても祭りの見どころの一つで、日本一を誇る舞台劇の名に恥じない野外劇を毎年見ることができます。

子供の健康を願う「泣き相撲」

鹿沼市の生子神社にて毎年9月に開催されている伝統的行事の一つで、土俵の上で生後1~2歳くらいまでの赤ちゃん2人を力士が「ヨイショ、ヨイショ」という掛け声をかけながら高く抱き上げ、先に泣き声をあげた側が勝ちとされています。このような"泣き相撲"は他の場所でも見られますが、ここのものは江戸時代末期から行われており、「生子神社の泣き相撲」として無形民俗文化財にも指定されています。

「泣く子は育つ」の言葉どおり、子供が健康に成長することを願って奉納されている行事ですが、これは生子神社が安産と子育ての守護神を祀っているからであり、かつて病気で亡くなった子供のために氏子が神社で祈りを捧げたところ、その子が息を吹き返したという逸話に由来しています。

現在は相撲の勝敗が決まることはありませんが、県内外からも多くの参加者が訪れ、子供たちの健康を祈っています。