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祭り情報

三国祭など福井県の祭りの特色



福井県は嶺北地方である越前、嶺南地方である南の若狭によって分けられ、豊かな自然や農業が多い越前と若狭湾に面し漁業や交易の盛んな若狭によってそれぞれ文化の違いが見受けられるほか、福井祭りには県民の力強い精神性が表れています。

北陸三大祭りの1つ「三国祭」

北陸三大祭りの1つ「三国祭」

三国祭は坂井市の三國神社に伝えられる例祭で、石川県の青柏祭、富山県の御車山祭と並び「北陸三大祭り」と呼ばれているほど盛大な祭りでもあります。囃子を背景に2基の神輿と6基の人形山車が歴史ある町を練り歩いてゆく様子は、北前船時代の繁栄が現代に蘇ったかのようです。

名物である曳き山車は宝暦年間(1750年頃)の「笠鉾・担い屋台」が起源であり、港町であった三国が各地との北前船による交易で繁栄するとともに文化を取り入れた結果屋台が山車へと変化し、大きさや人形を乗せるなど変化を続けていったのではないかと考えられています。明治時代まで山車の大きさは約11m程でしたが、明治41年に電話線が町中に貼られるようになり、危険なため山車の高さが制限されるようになった結果、約6.5mという現在の山車の大きさに落ち着きました。

江戸時代から職人によって造り続けられている山車の上に乗せられる人形ですが、現在は山車人形制作研究会や自治会も製作に取り組んでおり、加藤清正や牛若丸など多様な人形山車が奉納される様子を毎年見ることができます。神社前を出発した神輿と山車が、山車の中に乗り込んだ小学生たち囃子方の演奏とともに、情緒あふれる町中と700店を超える露店の中を進む巡行は夜の9時過ぎまで続き、北陸三大祭の名に恥じない盛り上がりを見せてくれます。

敦賀西町の綱引き

敦賀市に400年以上前から伝わる正月の予祝行事であり、国指定重要無形民俗文化財にも登録されている伝統的な祭りです。老若男女問わず数百人が東西2つのグループに分かれて綱引きに参加し、その勝敗によって今年が海と山のどちらが豊作となるかを占うというものです。

東は漁業神である恵比寿方、西は農業神である大黒方を司っており、参加者は自分が漁業関係者か農業関係者のどちらかによってチームに分かれて綱引きを行ないます。試合にはロープを芯にして稲藁約360把分で作られた、太さ25cm、長さ50mを超える大綱が使用されるのですが、この藁(わら)には呪力が詰まっているといわれており、試合後に千切れた藁は縁起物として参加者や観客が持ち帰ります。

また単に綱引きだけで農漁どちらが豊作となるかが決まるのではなく、当日にはその年の厄男が仮面と衣装をつけて両神様になりきり町内を巡礼したり、竹に飾られた縁起物を奪い合う「左義長倒し」が行なわれるなど、町全体が参加して楽しめる祭りになっています。

復興を願い始まった「福井フェニックスまつり」

この少し変わった名前の祭りは毎年8月に行なわれている福井を代表する祭りの1つであり、期間中は市内中でさまざまな催しが行なわれます。

その起源は昭和21年(1946年)7月19日より開催された、「福井市復興記念祭」に端を発します。戦時中だった福井は大空襲によって焼失家屋2万6千戸、死者約1600人に及ぶ大被害を受けました。しかし市民は復興に向けて前向きに活動し、戦災者の鎮魂と町の復興のために記念祭を開催するに至りました。しかし昭和23年(1948年)に今度は福井地震が発生し、再び町は大きな被害を被ってしまいました。ですが市民はやはり諦めず復興に向けて活動を開始し、同年には「福井復興博覧会」を開くまでになりました。そして昭和29年(1954年)、ついに市・商工会・観光協会が1つになって「第一回ふくいまつり」が開催されました。ふくいまつりは福井市を会場に行政、商店街、市民が一体となって行なわれ、年々規模を大きくしていき、名称も何回災害を受けても蘇る福井の町をたたえ、現在の「福井フェニックス(不死鳥)まつり」となりました。

祭り中は縁日や舞台イベントなど市内各地で催しが行なわれますが、特に足羽川木田橋で打ち上げられる「福井フェニックス花火」、性別や年齢関係なく誰でも参加することができる「YOSAKOIいっちょらい」、県内のバンドや学校の吹奏楽部など多数のチームが参加する「100万人のためのマーチング」が大きな見どころとなっています。どの催しも苦難に対して決して諦めない、不死鳥のごとき福井らしい熱さを県内外に表現している祭りです。