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祭り情報

霜月まつりなど長野県の祭りの特色



長野県は山国であると同時に、周囲を8の県に囲まれた流通の多い土地でもあります。そのため全国的に有名な「御柱祭」をはじめとし、山村で伝えられてきた伝統祭事が注目を集める一方、周囲の地方から伝道されてきた文化を繁栄させた祭りも見受けられます。

天下の大祭「御柱祭」

天下の大祭「御柱祭」

式年造営御柱大祭」、通称「御柱祭」は信州の諏訪大社にて7年に一度(寅・申年)開かれるもので、四ヵ所ある社殿のそれぞれ四隅に立てられている「御柱」と呼ばれるモミの木を新しいものに建て替えるという祭りですが、その規模の大きさと迫力、参加する氏子たちの数と熱気は"天下の大祭"の名にふさわしいものとなっています。いつ始まったかは定かではありませんが、約1200年前の桓武天皇の時代には既に御柱祭についての記述が発見されています。また諏訪大社は大国主命の息子であり戦・開拓を司る建御名方命と八坂刀売命(やさかとめ)の二柱を御祭神として篤い信仰を集めており、全国に万を越す諏訪神社の総本山でもあります。

社殿は諏訪市の上社本宮、茅野市の上社前宮、下諏訪町の下社春宮下社秋宮の全四ヵ所にあり、合計16本の御柱が植えられることになりますが、長さ約17メートル、直径約1メートル、重さ10トンを超える大木を山から切り出し、上社は約20キロメートル、下社は約12キロメートルに至る距離の道を人力のみで運ばなければなりません。たくさんの氏子たちによってこの御柱を山から切り出し里へと下ろす「山出し」を4月に、神社まで運んだ御柱を各社殿に建てる「里曳き」を5月に行なうのですが、氏子たちが上にまたがったまま、山の坂道を柱が重さ10トンの柱が一気に下っていく「木落し」、まだ冷たい季節の水が流れる川の中、重い柱を曳いていく「川越し」の壮大な様子は迫力満点で、たくさんある祭りの見どころの1つです。

また里曳きの途中では騎馬行列、花笠踊り、長持行列などが行なわれるほか、柱が建てられる時になると「天端乗り」という役職たちが御柱の先端に立ち乗りながら「おんべ」という御幣を振って2ヵ月間のクライマックスを演出します。四つの社殿毎それぞれ異なるルートを通っての御柱運行はまさに命がけであり、時には負傷者が出ることもありますが、それを顧みないロマンがこの「御柱祭」にはあります。

また大祭の翌年には諏訪各地の神社で「小宮の御柱祭」という祭りが行なわれます。これは大祭に比べると規模は小さなものですが、その分バリエーション豊かで敷居の低いものになっており、観光客も参加できる場合もあることから人気を集めています。

熱湯で身を清める「霜月まつり」

長野県の最南端であり、峡谷に囲まれた秘境・遠山郷で毎年12月ごろに行なわれている「湯立神楽」の一種で、熱く煮えたぎった神聖な熱湯を人間たちが浴びその身を清めるとともに仮面をつけて舞い踊るというものです。

霜月まつりで行なわれているものは貞観年中(859~876年頃)に伊勢神宮内にて行なわれていた湯立の形をほぼそのまま伝えるもので、これは伊勢から伝来した神楽に百姓一揆によって亡くなった遠山一族の霊を鎮めるためという様式が加えられたものだと考えられています。祭場上の湯釜で熱いお湯が沸かされるその周囲で祈祷が行なわれる一方、「火の王」「大臣」「婆」「天伯様」など役割によって様々な仮面をつけた八百万の神々に扮した舞手が登場し祭りを盛り上げますが、その中には湯を観客に飛ばす「湯切り」をしたり観客席に飛び込んだりする神様もいます。神社や祭りによって用いられる面、踊りや囃子、釜の配置などが異なり、同じ遠山でも個性が見られるのも特徴です。

また宮崎駿監督作のアニメーション「千と千尋の神隠し」劇中内に登場する湯治場のモチーフになったことでも知られており、八百万の神々が湯治にやってくるというお話はこの祭りが基になったと言われています。

舟が街を練り歩く「お船祭り」

松本市の須々岐水(すすきがわ)神社にて毎年5月に行なわれている例祭であり、豊穣と繁栄を願って9つの町会から奉納される船の形をした木造二階造りの「お船」と呼ばれる山車9基が町を練り歩くというものです。

お船の曳行は十数人によって行なわれ、船の二階から出される「よいさ、ほいさ」という掛け声に合わせて前後についた若衆がテコを駆使して車輪を動かし、本物の船のようにゆらゆらと進んでいきます。お船は松本の町を蛇行しながら神社まで曳かれていき、お祓いと祈願を受けた後にまた各町まで戻るのですが、これには神様からいただいた祈りを船に乗せて町まで持ち帰るという意味があります。

須々岐水神社は松本市平に流れる「薄川(すすきがわ)」の神霊を御祭神として祀っており、生活水、農業用水など古くから松本住民の生活に欠かせない水を司る神社として信仰されてきました。お船が作られるようになったのは江戸時代の末期頃であり、天保年間のころには現在のお船が全て製作されていたといいます。

巡行出発地点の山辺教育文化センター前に9基のお船が勢揃いする様子は圧巻で、陸を進んでいく船の様子も神秘的な雰囲気を醸し出しています。また9町に伝えられている伝統の船はそれぞれ作者や作られた時代によって個性に溢れているので、彫られている彫刻の種類や漆塗りの色合い、組み物に施されている仕掛けなど、バリエーション豊かな造りにも注目です。