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祭り情報

わらじ祭りなど三重県の祭りの特色



三重県は津市を中心にして伊勢、伊賀、志摩の地域から成り立ち、忍者の里として知られるなど独特の文化や祭りが伝えられている他、志摩半島をはじめ海と関わりが深いことも特色です。

郷土の伝統芸能が詰まった「津まつり」

郷土の伝統芸能が詰まった「津まつり」

津まつり」は毎年10月頃津市内全域で様々なイベントが行なわれる祭りです。本来は津市の八幡町に伝わる祭礼なのですが、現在は山車のパレードや踊りをはじめとした多数の伝統芸能が披露される市民参加型の祭りといった印象が強くなっています。

市内各地で催される津市の芸能は多種多様に渡りますが、市民の皆さんからアイデアを募集し製作された日本最大級の和船山車「安濃津丸」のパレード、370年以上前より八幡で行なわれていたとされ、色鮮やかな衣装に仮面をつけ笛やラッパを吹きながら舞う「分部町唐人踊り」、馬の胴体部分を履き、赤く染めたかつらと鬼の面をつけて踊り人々を驚かす「しゃご馬」、津青年会議所が主体となってはじめられた誰でも自由に参加して踊れる「安濃津よさこい」などを筆頭に白塚獅子舞、津高虎太鼓、高虎時代絵巻など津まつりに長年伝わる郷土芸能の数々がそこかしこで披露されます。

寛永9年(1632年)当時の藩主であった藤堂高次が八幡宮を現在の場所に移し、津の総氏神として祀るようになったことが始まりです。その八幡宮の祭礼として行なわれていたのが「八幡神社祭礼」であり、津まつりの起源ですが、高次を中心に藩から資金が寄付されるなどの援助が施され、盛大に行なわれることを推奨されたため、各町は遠慮せずに絢爛な山車などを作り、競って祭りを盛り上げていきました。その傾向は戦争によって全面的に中止されるまで続きますが、神社から御旅所まで巡行される神輿行列に個性豊かな仮装や山車の行列が随行し、年々唐人踊りなどの芸能も行なわれるなど、どんどん進化を続け華やかな祭りになっていました。戦後は山車の焼失など大きな損害が出ましたが、昭和43年以降は名称を現在の「津まつり」とし、安濃津丸や安濃津よさこいが加わるなどより一層の盛り上がりをみせながら現在に至ります。藤堂高次に始まり、現代までに人々が作り出し盛り上げてきた津の郷土芸能の歴史が凝縮された祭りです。

轟音が鳴り響く「くわな石取祭」

古来より桑名の総鎮主として崇められてきた桑名宗社(通称春日さん、春日神社)にて江戸時代より伝えられる祭りで、その名の通り毎年8月桑名に流れる町屋川から石を拾ってきて神社に奉納をするという「石取り」の神事が祭礼化したものです。江戸時代初期より始まったといわれており、祭り時には装飾を施された43台にも及ぶ祭車が一斉に鉦や太鼓を打ち鳴らし続けながら町を練り歩くのが特徴で、その凄まじい音色から「日本一やかましい祭り」と称されるほどです。

石取が祭りとして行なわれるようになった理由には諸説ありますが、江戸時代に氏子たちが川で石を俵に詰めて持ち帰る際に、提灯をぶら下げた車に乗せて太鼓や鉦を鳴らしながら神社へ戻っていたことが祭車の起源だといわれています。

祭りは、祭車が地区ごとに分かれ、囃子の演奏とともに明け方まで曳き回しを行い、各町が神社に石を奉納する「試楽」、各町から祭車43台が集まり神社参拝のための曳き揃えが行われた後、列をなして春日神社まで渡祭が行われる「本楽」の二日間にわけて開催されます。

数千点の機材から構成され、美麗な彫刻や塗装の施された歴史ある祭車も見どころですが、その異名のとおり耳から離れないほどの囃子の演奏は聴き応え抜群で、特に両日のはじめに行なわれる「叩き出し」の瞬間は市民が一年間待ちわびていた想いを爆発させるかの如き轟音が町中に鳴り響きます。それまでの鬱憤を全て吹き飛ばしてくれる、「日本一やかましい」の名にふさわしい祭りです。

だんだらぼっちの逸話に基づく「わらじ祭り」

太平洋に面した志摩市に伝わる祭りで、波切の海に住んでいた恐ろしい巨人「だんだらぼっち」退治の民話に由来し、大きなわらじを海に流して平和と豊漁を祈るというものです。

その昔、波切の韋夜ヶ島(現在の大王島)を一つ目で片足のだんだらぼっちという巨人が住処とし、浜辺にきては嵐を起こすなど悪事を働いていました。悩んだ人々が波切の韋夜神様に助けを求めると、神様は、だんだらぼっち退治のために使者を遣わしてくれました。ある日だんだらぼっちが村にやってくると、娘が大きなムシロを編んでおり、「それはなにか」と尋ねると娘は「ここの村主が履くわらじです」と答えました。こんなわらじを履くほど大きな人間がいるのかと驚いただんだらぼっちですが、次は魚を入れる大きな編みと籠を発見しました。近くにいた漁師に「これはなにか」と再び尋ねると、漁師は「村主の履くふんどしと弁当箱だ」と答えました。娘と漁師は神様が巨人退治に遣わした使者だったのですが、これに「自分より大きくて力持ちの人間がいる」と驚き恐ろしくなっただんだらぼっちは波切から逃げ出し、以降志摩には平和が戻ったといいます。

この逸話に基づき、大きなわらじを作って流し、だんだらぼっちが恐れて戻ってこないようにするとともに海の安全を祈願する祭事が行なわれています。祭りは、波が穏やかになるよう祈る"神神在"が踊られた後、子どもたちが大王島の方角に大わらじを引っ張る「わらじ曳き神事」、祝詞の読み上げとお祓い、七人婆さんによる「エレワカ」が済んだ後わらじを沖へと運び流す「わらじ流し神事」の2つをメインイベントとして行ないますが、町や浜の会場では神輿行列、各種イベントなどでも大きく盛り上がります。

この祭りの逸話や由来にはさまざまな説があり、紀州熊野那智大社の「海の向こうに神様の国がある」という補陀落信仰と関係が深い、八束水臣津野神の国曳き神話やギリシャ神話がもとになっている説など、だんだらぼっちから色々なところとの繋がりが推測されています。