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祭り情報

大津祭など滋賀県の祭りの特色



滋賀県は日本最大の湖、琵琶湖を有することが有名ですが、織田信長の拠点である近江をはじめ東西の流通の要を担っていたこともあり、各地のから伝わった文化や戦国大名たちに由来する祭りが多く見られるのが特色です。

からくり人形を乗せた山車が巡行する「大津祭」

からくり人形を乗せた山車が巡行する「大津祭」

滋賀県の中心大津市に位置する天孫神社の毎年10月に行なわれる例祭で、豪華絢爛な13基の曳山による巡行の様子は「大津三大祭」「湖国三大祭」に数えられるほど見事なものです。

13基の曳山はすべて江戸時代に作られたものであり、普段はどれも解体されて各町の山蔵に収納されていますが、祭りの始まる一週間程前に組み立てられます。歴史ある装飾や造形にも目がいきますが、大津祭の山車の最大の特徴として個性豊かな「からくり人形」が山車に乗っていることがあげられます。これらのからくりは故事や能楽の様子を再現した精巧なもので、それぞれを題材とした山車に乗っており、謡曲「西行桜」を題材とした「西行桜狸山」では桜の精と西行法師が会話をするシーン、神宮皇后が戦に赴く際、肥前国松浦で鮎を釣って戦勝を占ったという逸話を題材とした「神功皇后山」では皇后が岩に字を書く姿、能楽「殺生石」を題材とした「殺生石山」では、玄翁和尚が石が二つ割り、人間に化けていた玉藻前の顔が狐に変わる瞬間などの様子を再現してくれます。このからくりを披露することを「所望(しょうもん)と呼び、神社から町中へ向かう「本祭」の巡行中各地で曳山を停めて行なわれる、大津祭の名物です。

この山車が祭りで曳かれ始めたのは江戸初期の祭礼当日、鍛冶屋町の塩売治兵衛という人物が狸の面をして踊ると人が集まるようになったので、翌々年から屋台を曳きはじめたのがその起源だといわれています。この屋台が練り物の巡行や天井板の装飾など進化を続けて現在の曳山の形になり、そこに京都の祇園祭から影響を受けてからくり人形が乗るようになったそうです。

滋賀県の無形民俗文化財にも指定されており、各地の文化を取り入れながら大津ならではの伝統芸能を残す祭りになっています。

秀吉にまつわる「長浜曳山まつり」

祇園祭と並び「日本三大山車祭」に数えられ、長浜市長浜八幡宮に古くから伝えられる祭礼であり、豊臣秀吉のお祝いに起源を持つ祭りでもあります。

安土桃山時代、初めて自分に長男が誕生したことを喜んだ秀吉はお祝いとして、長浜の町民たちに砂金を送りました。町民たちはその金を元手に曳山を造り、八幡宮の例祭で曳き回したことが現在の曳山まつりの始まりだと言われています。曳山は町の発展に伴い13基まで数を増やしていき、国の重要文化財に指定されている「鳳凰山飾毛綴」「翁山飾毛綴」という幕をはじめ様々な装飾もなされるなど「動く美術館」と呼ばれるまで豪華なものになっていきました。

また江戸時代には山車の上で12歳くらいまでの子供たちによる「子ども歌舞伎」が演じられるようになり、毎年曳山上の舞台と子ども用にアレンジされた長浜独自の演目が熱演されています。

毎年13基の曳山の中から長刀山と他交代で4基の山車が「シャギリ」という囃子とともに曳行され、子ども歌舞伎で盛り上がる祭りの様子は、豊臣秀吉の喜びがそのまま現代に蘇ったようです。

近江八幡の「左義長まつり」

「左義長」といえば「どんど焼き」などとも呼ばれる小正月に行なわれている伝統行事であり、藁などを燃やした火の中に門松などを入れて焚き上げるものが一般的です。しかし近江八幡で行なわれている左義長はもともと安土城で行なわれていた豪華なものであり、かの織田信長が始めたものだとされています。

左義長はもともと平安時代の宮中行なわれていた行事で、三つ結んだ毬杖や扇子、短冊などを青竹に吊るして焼いていた行事が起源とされており、現代では元旦に用いたものを燃やしてその煙を浴びたり、火で焼いた餅を食べると一年を健康に過ごせるとされています。

織田信長によって始められた近江八幡の左義長も正月の安土城下の人々によって盛大に行なわれており、正体を隠した信長自身が自ら踊り出るほど賑やかなものであったといいます。本能寺の変で信長が亡くなって以降、安土の人々は秀吉の養子である豊臣秀次が築いた八幡山城の城下町に移り住んだのですが、当地で行なわれている八幡まつりで信長由来の左義長を行なったのが、「左義長まつり」の始まりとされています。

祭事には新藁で作られた3メートルほどの三角錐の松明を胴体とし、その上に扇や色紙などで飾られた青竹が立てられますが、これを神輿のように担ぎ上げられるようにしたものを「左義長」と呼びます。左義長の中心にはその年の干支にちなんだ動物が食物で作られた「だし(山車)」が飾られますが、これは各町の人たちが誇りと時間をかけて手作りで製作を行なう、非常に重要なものです。

左義長祭りの本番の日、各町から八幡宮に集まった左義長たちは、揃いの格好に身を包んだ「踊り子」と呼ばれる担ぎ手たちの「チョウヤレ、チョウヤレ」「マッセ、マッセ」のかけ声で、神輿のように町内を渡御していきます。この翌日には各町の左義長が再び町内を練り歩くのですが、この日は左義長同士が激突しあう「組み合わせ(けんか)」が町内各地で繰り広げられます。

そして二日目の最後の夜にはいよいよ左義長へ火が点けられる奉火が行われ、火の粉を浴びながらの若者たちによる乱舞で盛り上がりますが、全ての左義長が燃え尽きると祭りは終了となります。

この祭りは天下の奇祭とも呼ばれ、燃え盛る炎のまわりで大賑わいをする派手な祭りという印象ですが、冬の終わりとともに近江八幡に春の到来を告げる祭りでもあります。織田信長も楽しみにしたこの火祭りは、戦国時代から続く滋賀の代表的祭りとして人々に親しまれ続けています。