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祭り情報

天神祭など大阪府の祭りの特色



大阪は東の東京と並ぶ、いわずとしれた西最大の都であり、独特の文化や伝統を数多く伝えています。それには豊臣秀吉を始めとして歴史との関わりが深いこともさることながら、「天下の台所」と呼ばれるほど物流や商工業の中心地として日本外国と交流が盛んであったことにも由来します。現代にもそんな浪速の伝統を残す、文化最先端の地大阪ならではの祭りが多数行なわれています。

日本三大祭りの1つ「天神祭」

日本三大祭りの1つ「天神祭」

毎年7月に開催される大阪天満宮の「天神祭」は西の都を代表する歴史ある夏祭りであり、京都の祇園祭・東京の神田祭と並んで「日本三大祭」と称される日本を代表する祭りでもあります。「宵宮」と「本宮」の二日にかけて様々な神事の奉納や花火などで大いに賑わいますが、中でも本宮に行なわれる「船渡御」は水の都大阪の祭りを象徴する光景です。

天神祭は天暦3年(949年)、菅原道真公の御霊を鎮めるために天満宮御鎮座が鎮座された翌々年の天暦5年(951年)より始まった、社頭の浜から神鉾を流して、流れついた場所に斎場(御旅所)を設けて「みそぎ」を行なう「神鉾神事」が起源とされています。この斎場へ向かうために崇敬者たちが船を用意して川を渡ったことが天神祭の始まりであり、船渡御が行なわれる所以でもあります。以降船の形や数の増加など体型も整っていき、大阪が「天下の台所」と呼ばれた江戸時代には浪速の繁栄のシンボルとして盛大に行なわれるようになっていました。幕末の動乱や地盤沈下による運行ルートの変更などトラブルも多々有りましたが、その度に大阪浪速っ子たちは祭りへの熱い心意気で乗り越え、現在まで祭りを浪速のシンボルとして繁栄させ続けています。

本宮当日にはまず天満宮から催太鼓を先頭に、神輿や鳳輦(ほうれん)などの勇壮で色彩豊かな行列が賑やかなお囃子の中船乗り場まで巡行する「陸渡御」が行なわれます。この行列天神橋の船乗り場までたどりつくと、いよいよ大川を航行し御旅所まで向かう船渡御が始まります。神様がお乗りになる豪華な「御鳳輦船」を中心に船渡御を御旅所まで無事導くために作られた「御迎船」や江戸時代からの歴史がある「御迎人形」が合流し、合計100隻にも及ぶ船団が川を渡っていく様子はまさに圧巻です。渡御の途中では神様に大阪市民たちの暮らしをご覧いただき御加護を祈願し神楽などが舞われる「水上祭」が行なわれる他、5,000発を超える奉納花火や篝火が焚かれ大阪の夏の夜を涼しげに照らしてくれます。

またこの天神祭は江戸時代より「講(講社)」と呼ばれる人々によって支えられているのも特徴で、船渡御や陸渡御、演奏されるお囃子や踊りなど各種祭事をそれぞれ細かくわけられた講が担当しています。彼らが支え、受け継いできた「龍踊り」「天神踊」「花笠」などの伝統に加え、女性たちによる華やかな天神祭女性御神輿(通称ギャルみこし)の巡行が行なわれるなど、時代とともに新しい試みを積極的に取り込んでいるのも天神祭の魅力の1つです。

日本最古の夏祭り「愛染まつり」

勝鬘院(愛染堂)にて毎年6月~7月にかけて行なわれる、毎年大阪を含め日本で一番最初に開催される夏祭りであり、天神祭・住吉祭と並んで「大阪三大夏祭り」とも呼ばれています。また593年より聖徳太子が開始した、日本最古の夏祭りとしても知られています。

西暦593年に聖徳太子が四天王寺として建立した敬田院・施薬院・療病院・悲田院のうち施薬院内に建てられた勝鬘院は、当初聖徳太子が勝鬘経をこの寺院で人々に説いていたためそう呼ばれていました。勝鬘院を正式名称とする一方でここの金堂ではご本尊として愛染明王が祀られており、お堂を愛染堂と呼んでいたのですが、時代の愛染明王信仰の普及とともに院全体が「愛染堂」として呼ばれるようになってしまいました。今では縁結びの神様である愛染明王に親しみを込めて、「愛染さん」と人々からは親しまれています。

そんな愛染さんの祭りだけあって、愛染まつりは「女性の祭り」「浴衣祭り」といわれるほど全国各地から多くの女性が集まります。昔芸者の人たちが駕籠に乗りながら祭りを見物したという様子を再現した、谷町筋を籠に乗った娘さんたちが練り歩く「宝恵かごパレード」を中心に、演芸大会や一般公募で選ばれる「ミス・愛染娘コンテスト」などで盛り上がります。また年に一度だけ多宝塔に祀られている愛染明王・大日大勝金剛尊のご開帳や四天王寺ならではの厄除け祈願である「夏越(なご)しの祓えの大法要」、「摂州だんじり囃子かずら」など貴重な祭事や伝統芸能も披露され、男女共に多くの人が訪れます。

全国随一の迫力!「岸和田だんじり」

毎年9月に岸和田市の町全体を「だんじり」と呼ばれる山車が駆けまわる豪華な祭りで、300年の歴史と伝統を誇る由緒あるものです。だんじりの芸術的かつ歴史ある造りも見どころですが、巡行の途中で方向転換をする際、スピードを全く落とさずに直角に街角を曲がりきる名物「やりまわし」の迫力は、全国に数ある山車祭りの中でも随一の迫力を誇ります。

この祭りは元禄16年(1703年)、岸和田藩主である岡部長泰公が京都の伏見稲荷岸和田城内三の丸に勧請した際、五穀豊穣となることを願い行なった「稲荷祭」が起源だとされており、当時は山車の他に俄や狂言などが演じられていたそうです。

祭りの象徴である「だんじり」は高さ約3.8メートル、重さ約4トンに至るとても大きなもので、金銀で飾られた豪華なものですが、目をひくのはその見事な彫物の数々です。だんじりは他の山車のように漆などで塗装を行なわず、綱や旗の飾り以外は全て彫刻をメインとした欅の木目が映える造りになっています。彫物は多種に渡り、動物や人間、戦国時代や物語を再現した一幕、民話や伝承などを見事に表現した彫刻が山車全体に彫られています。これには貝塚で繁栄を誇った宮彫師「岸上」一門に由来する説、伝説の宮彫師である左甚五郎に由来する説などがありますが、見事な彫物の技術や彫り物の施されただんじりたちが現在も岸和田の職人たちに受け継がれていることに変わりはありません。

そして、だんじり祭り最大の見どころが「やりまわし」です。他の祭りのように一度止まり道具を使って方向転換をするのではなく、速度を落とさず直角に角を曲がりきるのはもちろん簡単なことではありません。4トンもの巨体が曲がるには、だんじりを曳行する曳き手たち、車の先で先導する「綱先・綱中」・旋回担当の「前梃子」・舵取り担当の「後梃子」、屋根に乗り後梃子に進行方向と曲がる合図を示す「大工方」、曳き手全員が息を合わせそれぞれ的確なタイミングで自分の役割を実行しなければなりません。そのためお互いの連携を為すためのチームプレイが必須となりますが、それだけに達成されたときの喜びともたらされる大迫力の光景は圧巻の一言です。

そんなだんじりも日が暮れるとそれぞれに200個の提灯が飾り付けられた綺麗な姿となります。昼間までとは打って変わり、ゆっくりと町を練り歩くだんじりたちは、大阪の風流な夏の夜を演出してくれます。