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祭り情報

灘のけんか祭りなど兵庫県の祭りの特色



兵庫県は日本海と瀬戸内海二つの海に面し、さらに西の人々が京都・大阪へ向かう際に必ず通過しなければならないこともあって内陸両方からの交通源としての役割を持ち、地形や伝統に基づく祭りの他各地に影響を受けた、広めた祭りも中には見られます。

市民創造型の「神戸まつり」

市民創造型の「神戸まつり」

神戸まつり」は毎年5月に神戸市内で行なわれる市民参加型の祭りで、「緑と海そして愛」をテーマに様々なイベントが行なわれます。

祭りの始まりは昭和46年からですがそのルーツとなった歴史は深く、昭和8年に始まった「みなとの祭」・昭和42年に始まった「神戸カーニバル」の二祭を組み合わせて発展したものが現在の「神戸まつり」です。みなとの祭りは当時の経済状況を改善すべく、当時の市長によって市民創造型の新しい祭りとして開催されました。国際大行進、懐古行列などのパレードや花電車の市内運行など盛り上がりをみせ、昭和42年の神戸開港100年を記念した祭りには前夜祭として神戸カーニバルも盛大に行なわれました。カーニバルは商工会をはじめ多くの団体が参加し、歌や仮装、ダンスなどで大いに賑わい、以降も続けられることになりました。その後市内の交通状況の悪化などイベントに問題が発生するようになってしまいましたが、そこでみなとの祭りと神戸カーニバルを解消し、さらに両イベントを発展させたものとして「神戸まつり」が行なわれるようになったのでした。

祭りは個性にあふれた市民団体によるダンス、バトンなどの行列が繰り広げられるおまつりパレードやパフォーマンスが行なわれる「メインフェスティバル」をはじめ、各種ステージイベントやマーケットイベントで大いに盛り上がります。また市内各地でも地区ごとの祭り、港の神事、ヨットレースなどが開催され、祭り全体を市民たちが創造し、そして楽しむ姿が神戸中に広がっています。

灘のけんか祭り

姫路市の松原八幡神社で毎年10月に開催される秋の例祭で、「妻鹿のけんか祭り」とも称されており、その名のとおり3基の神輿をぶつけ合う全国的に有名な喧嘩祭りです。祭りには南東部海岸から7つの地域が参戦し、それぞれの地区による屋台の練り歩きも見どころの1つです。この例祭は仏教思想に基づく「放生会」が起源とされますが、明治の神仏分離令にあわせて屋台が主役となる現代の祭り形式になったと伝えられています。

祭りは「宵宮」と「本宮」の二日にかけて行なわれ、前日の宵宮にまず各地域の屋台が蔵から出され、町中を巡行しながら八幡宮に向かいます。八幡宮内ではそれぞれの屋台がお祓いを受ける宮入り・宮出しが行なわれ、その後は7台全ての屋台による荒々しい練り合わせが披露されます。

そして翌日の「本宮」では、早朝より「露払い」「潮かき」というお祓い、禊の儀が行なわれ、前日同様各町の屋台が神社で宮入りをします。その後神輿を担当する練番地区の宮入りが行なわれ、故事に基づき拝殿前から鳥居まで2度3度走って往復し、昔の潮かきを再現します。そして神様が宿られた一の丸、二の丸、三の丸の神輿3基を担ぎ上げ、いよいよ祭りの目玉である喧嘩神輿のぶつかり合いが始まります。喧嘩は拝殿前、楼門前広場で行なわれ、屋根がつぶれるのも擬宝珠が吹き飛ぶのも構わずにお互いの体制が整えばとにかくぶつけ合うその姿は「喧嘩祭り」そのものといった光景です。

その後、小高い山の上に位置する御旅所まで向かうのですが、山に登る途中でもまたぶつかり合いが行なわれます。その後屋台による練りが行なわれる中山頂にて神事が催行され、祭りを終わらせるために帰り道につくのですが、それでも祭りの最後を惜しむかのごとく、既に壊れているにもかかわらずぶつかり合いが行なわれながら、それぞれの地区へ屋台とともに戻っていきます。こうして最後まで盛り上がりながら祭りは終了しますが、すぐに次の祭りの準備が始められ、祭りを楽しみに新たな一年が始まるのです。

一大盆踊りが繰り広げられる「デカンショ祭り」

毎年8月に開かれる篠山市の夏の祭典であり、篠山市が日本に誇る民謡「デカンショ節」の音頭にのって踊り明かす一大盆踊りの祭りです。「デカンショデカンショ♪」とう印象的な歌詞とリズムにのせて篠山の気候、特産品、風土などについてアピールするするデカンショ節は、その独特な曲調ながら定まった歌詞が決められておらず、全国各地では300曲以上のデカンショ節が歌い踊られています。発祥地である篠山市では数ある中から代表的なデカンショ10選が選出されており、市のアピールをするとともに祭りの中で踊り続けられています。

その起源は元来篠山でしか見られなかった「みつ節」という踊りが変形したものだといわれています。みつ節も何時頃始まったものかは定かではなく、その踊り方もデカンショと大差はありませんが、「ヤットコセ」という囃子言葉が用いられていたといいます。なぜ「デカンショ」という名前になっていったのかについては諸説あり

  • 「出稼ぎをしよう」という言葉が変化したもの
  • 盆踊りの中の「どっこいしょ」という歌詞が変化したもの
  • デカルト・カント・ショペンハーウエルといった哲学者の頭文字を並べたもの

といった語源説が唱えられていますが、いずれにせよみつ節上の囃子言葉を変化させたものが、シックリくるとして定着してしまったことに違いはないようです。

この豪快な響きのデカンショ節は全国にも知られていますが、それは明治頃館山の旅館で篠山出身の若者たちが大声で歌っていたところ、偶然その下の階に泊まっていた東京の学生たちの心を掴んだことがきっかけでした。曲を気に入った学生たちは歌を教えてもらい、東京に戻ってからも歌い広めたことで、デカンショ節は全国に広まっていったのだといいます。

祭り当日は篠山城跡の三の丸広場周辺を舞台に櫓を囲んでの総踊りや競演会で踊り明かす他、夜店町や花火大会でも大いに盛り上がり、真夏の篠山中をデカンショの響きが包み込んでいきます。