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祭り情報

おかやま桃太郎まつりなど岡山県の祭りの特色



「日本一の桃太郎」の舞台とされるだけあり、町や祭りのシンボルとして桃太郎や鬼の姿がよく見られます。しかしその一方で、瀬戸内海に面した地形を活用して一大勢力を築いた吉備を古くに持ち、その繁栄を今に残す城下の祭りや文化も多く残っています。

西大寺会陽(えよう)

西大寺会陽(えよう)

岡山市の西大寺(観音院)にて毎年2月に行なわれている行事で、裸になった男たちがご利益のあるという神木をめぐって奪い合いを繰り広げるという壮大な「裸祭り」です。

永正7年(1510年)、当時の住職であった忠阿上人は新年にあたり、これから一年が豊かで健康なものであるように祈る「修正会」を行なっていました。その修正会結願の日、お寺へ参詣してきた人々にご利益のある守護札を渡そうとしましたが、「護符をもらった者には素晴らしい幸福が訪れる」ということでお寺に人が殺到してしまい、やむを得ず住職は参詣者たちの頭上に投げ与えました。すると参詣者たちの間で護符の壮絶な奪い合いが始まってしまい、最終的には裸になってまで手に入れようとした人もいたといいます。これが今日の会陽(裸祭り)のはじまりであり、以降、その光景から「天下の奇祭」として広く知られることとなりました。

現在の会陽もその起源どおり修正会の結願の日に行なわれますが、護符では奪い合いの際ビリビリに破れてしまうため、神木を使用するようになっています。修正会は結願当日の19日前から行なわれ、近隣の住職が多数集まり一年の平和を祈願する他神木の作成もこの期間に行なわれます。そしていよいよ会陽の夜、日が落ちた境内に裸にふんどし一丁の参加者たちおよそ1万人が集います。彼らはまず水垢離をして体を清め、裸の守護神である牛玉所大権現をお参りした後、会場である本堂の大床に集まります。そうして時間になると本堂内外の明かりが全て消され、緊張する裸男たちの中に御福窓より宝木が投下されると、ついに奪い合いのスタートです。その争奪戦は凄まじく、全員がもみくちゃになりながら腕力とテクニックを駆使して宝木を手に入れようとしますが、その激しさに時にはケガ人が出ることもあるといいます。接戦の末めでたく木を手に入れた人はその年の「福男」と呼ばれるようになり、今後一年の安泰が約束されるといいます。

この日は基本的に大人の男の祭りとされていますが、会陽本番前には女性たちによる勇壮な「会陽太鼓」の演奏や小学生が参加する「少年裸祭り」も行なわれます。また祭りに参加した人のまわしを妊婦が腹帯として用いれば元気な子が生まれる、会場の土を畑にまくと豊作になるなど福男以外にもご利益があり、参加者以外にも毎年多くの人が訪れる岡山の冬に欠かせない行事です。

津山まつり

津山まつり」とは、毎年10月頃に行なわれている城下町・津山の三ヵ所の神社の祭りの総称です。三ヵ所の神社とは、慶長8年(西暦1603年)、森蘭丸の弟である森忠政公が津山城を築城した際現在へ遷し、津山城下の総鎮守として定められた「徳守神社」、和銅年間より前から祀られており、当地の国造りの化身として崇められた豊手という人物が出雲大社を勧請した「大隈神社」、安閑天皇二年(西暦534)に勧請された延喜式内社で、篤い信仰をだけでなく多くの文化財を有する「髙野神社」です。

どの神社も神輿の他に「津山だんじり」と呼ばれる山車が、歴史と伝統ある津山の町を巡行するのが特徴です。

津山でだんじりなど練り物の巡行が始まったのは総鎮主となってすぐ行なわれた徳守神社の祭礼が最初であったとされ、大隈神社でも宝永4年(1707年)同様に練物の巡行が始まり、津山の町で山車が定番化していきました。昭和に入って以降は各町でもそれぞれの山車が出されるようになり、文化7年(1810年)徳守神社の祭りにおいて大小の提灯を付けた台を担ぎ(曳き)、子供を上に乗せ太鼓を叩かせた、現在の「津山だんじり」の原型となる「神輿太鼓」が出現しました。その後、様々な彫刻の施された神輿太鼓や「檀尻」という山車が出現しましたが、これらはすべて明治以降に「だんじり」という呼称で統一され、祭りの中で「津山だんじり」として発展を遂げていくこととなりました。神輿太鼓や檀尻は他の山車と同じように「曳く」のではなく元々「担ぐ」ことを目的としていました。時間の流れとともに今は台車で曳くのが主流となりましたが、「だんじり」という言葉は現在も台車部分を含まない上部社殿部分のみのことを指しており、だんじりと台車が取り外し可能な使用になっています。また神輿太鼓のように、成長を願って地域の子どもたちをだんじりに乗せて巡行することも津山まつりの特徴の一つです。

また津山だんじりは歴史的なものだけでなく、時代にそって新しいだんじりが造られています。伝統からはずれ台車とだんじり部分が一体となったもの、子供をたくさん乗せるために大型化したもの、ハンドルで操作できる近代的なものなど、時代にあわせて新しい山車が造られています。400年以上の歴史を持ちそれを伝えながら、どんどん新しい文化を取り入れてそれをさらに発展させていくだんじりの姿は、津山にとってもだんじりに乗る子どもたちにとってとてもたくましい存在となっています。

おかやま桃太郎まつり

その名の通り、桃太郎縁の地として有名な岡山県ならではの名を冠した祭りです。それまでに開催されていた岡山の祭りと伝統舞踊である「うらじゃ」が一体となって始まった祭りで、夏・秋・冬の三回にわけて行なわれるのが特徴です。それぞれ内容は大きく異なり、毎年8月、主に市内を会場に行なわれ、納涼花火大会や桃太郎の鬼伝説にちなんだ「うらじゃ」のパレードや総踊りで盛り上がる「おかやま桃太郎祭り」、毎年10月、岡山城や公園を会場に、備中太鼓や岡山城の鉄砲隊演舞、獅子舞など伝統芸能の披露からふるさと食の自慢市など岡山の郷土に関係したイベントをメインに行なわれる「秋のおかやま桃太郎祭り」、毎年12月頃、岡山駅前広場などを舞台に、ライトを使ったイルミネーションでクリスマスや桃太郎の一幕を演出し、岡山の冬の夜を照らしだす「MOMOTARHO FANTASY」と季節によって異なる趣向のものが行なわれています。

その中でも最も大きく盛り上がるのが夏の「うらじゃ」で、市民参加型の祭りとして毎年県内外から多くの人が踊りに岡山を訪れています。うらじゃの"うら"とは漢字で書くと「温羅」、岡山県に古くから伝わる鬼のことであり、桃太郎に出てくる鬼と同様の存在だとされています。その名の通り鬼である温羅の物語をもとにした踊りであり、踊り手たちは鬼をイメージした迫力あるメイクをして踊るのがならわしです。とはいえ物語に出てくる乱暴な鬼をもとにしたのではなく、温羅(鬼)とは百済から吉備へやってきた渡来人であるという物語に由来しています。戦争を逃れて外国からやってきた温羅は自分を受け入れてくれた心優しい吉備の人々のために、製鉄や製塩など百済の優れた技術を彼らに伝えました。段々と温羅は吉備の人々に慕われるようになり、吉備国の王までになって国の発展に貢献しました。うらじゃはこの温羅の話をもとに、外国人と日本人、鬼と人間の「共生と融和」をテーマとして作られました。そして人々が共に歩み、またこのお話をきっかけに岡山の人たちが県の郷土文化を知るきっかけになればという思いから1994年にデビューを果たしたうらじゃは、参加者がひとつになって踊る「総踊り」をはじめとして、岡山だけでなく県外の人へも友好の大切さと郷土文化を伝えています。まだその歴史は新しいですが、「桃太郎」という日本一有名な物語をきっかけに伝統と文化を今に伝える、岡山だからこそできる祭りではないでしょうか。