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祭り情報

防府天満宮御神幸祭など山口県の祭りの特色



九州地方を対岸に望み、周囲を海に囲まれた山口県は古来より国内外合わせ文化の交流や人の往来が盛んな土地でした。また九州との間である関門海峡は平氏滅亡の地である壇ノ浦をはじめ歴史的に有名なエピソードを数多く残し、祭りという形をとって現在に伝えられています。

防府天満宮御神幸祭(裸坊祭)

防府天満宮御神幸祭(裸坊祭)

学問の神様である菅原道真を祀る防府天満宮で毎年11月に行なわれる御神幸祭で、菅原道真本人が九州地方の大宰府へ向かう途中にこの地に訪れた際の送迎の仕方が神輿の巡行に伝えられています。別名「裸坊祭」と呼ばれるとおり、神輿は裸坊という裸に白いシャツをまとった男たちによって担ぎ上げられ御旅所まで向かいます。彼らがこのように呼ばれていたのは、江戸中期に信仰のあつかった信徒達が御神幸にあたり、身心共に穢れのないよう水垢離を行ない、白い布だけをまとったほぼ生まれたままの格好で奉公していたことがきっかけでした。この姿勢はどんどん広まり、いつしかこのように敬虔かつ豪快な裸坊たちが行なう祭りとして、裸坊祭という名前が全国に知られるようになっていったとされます。彼らは5000人にも及び、荒々しく御旅所まで押し合いへし合いながら向かうことから「西日本屈指の荒祭り」とも呼ばれています。

祭りは菅公が当地へ立ち寄った時、国司と共に送迎をした国庁庁吏の藤井家・清水家の末裔たちが祭事の中心である大行司・小行司をそれぞれ勤め、御神幸までに各種お祓いや宮入りを行ないます。そして祭り当日、道真を宿した神輿を担ぎあげた裸坊たちは、八幡宮から道真がはじめにこの地に降りたったという勝間の浦を御旅所として市内を巡行していきます。神輿が用意された拝殿の扉が開くとともに熱気とやる気に満ち溢れた男たちが次々と神輿に殺到し、「兄弟ワッショイ!」の掛け声とともに勢い良く大石段を下りて進んでいく姿は壮絶です。また触れると願いが叶うといわれている「御網代輿(おあじろごし)」の巡行も行なわれますが、裸坊たちはなんとしてもこの神輿に触れようとするため担ぎ手同士による激しいもみ合いがこちらでも発生します。

男たちによる荒々しい神輿ばかりではなく、御神幸日のお昼には逆に女性たちだけで担ぎあげられ「ソイヤ!」の掛け声で進む「おんな神輿」が奉納され、勇壮かつ華やかな雰囲気で町を包みます。そして御神幸の前には祭りを取り仕切る大行司、小行司役によって、祭りが無事に成功することを祈願して「花神子社参式」という儀式が執り行なわれます。これは小学校から選ばれた児童が穢れのない花神子となり、御神前に一晩醸造の神聖なお神酒を捧げるというものですが、八幡宮へ行くまでの道のりを家老や局など大名行列に準じた500名に及ぶパレードを伴って練り歩いていきます。絢爛なその行列の様子は、この祭りに荒々しいだけではないしなやかで華のある一面を見せてくれます。

しものせき海峡祭り

毎年5月に下関で行なわれる祭りで、関門海峡を舞台に起こった史実の再現、町をあげた武者行列、総踊り、下関名物であるふぐ料理のお披露目など多彩な顔を持つ一大イベントです。

数ある催しの中でもメインとなるのが源氏と平氏の戦いに関連したイベントです。その中でも平氏が源氏に敗北し、ついにその栄華の歴史を終わらせることになった「壇ノ浦の戦い」を描いた二つのイベントを紹介します。

一つ目は関門海峡で行なわれた壇ノ浦の戦いを、実際に海上で船を用いて再現した「源平船合戦」です。引島を拠点とした平氏、追津を拠点とした源氏の壮絶な海戦の様子を、総数約200隻にも及ぶ紅白の旗や幟をなびかせたいくさ船とそれに乗り込んだ義経や武者たちによって再現していきます。平家太鼓から始まり、弓やなぎなた合戦を経て決着する戦いの様子は圧巻です。

二つ目は、壇ノ浦の合戦で敗れた平氏の81代天皇・安徳天皇を偲んで赤間神宮で行なわれる「先帝祭」です。合戦終了時わずか8歳であった安徳天皇は、祖母である二位の尼に抱かれながら『波の底にも都の候ふぞ(波の底にも都はあります)』の言葉とともに、海底に消えてしまいました。この平氏滅亡の後、多くの女官上臈たちは赤間の人たちに助けられ、身分を落としながら港を訪れる船人を相手に商売をして暮らすようになりました。これはそんな事情を知る彼女たちが入水した天皇のことを偲び、命日の度に参拝をして弔ったという逸話に由来しています。十二単衣姿の絢爛な五人の大夫が、市内から稚児官女を連れて赤間神宮に参拝する姿は美しさとともに歴史の中の悲劇を感じさせます。

山口七夕ちょうちんまつり

毎年8月に山口市の中心商店街などを会場に開催され、市内中に合計10万個もの提灯が飾られる、日本でも有数の火祭りです。また山口祇園祭山口天神祭とあわせて呼ばれる「山口三大祭」の一角でもあります。

この祭りは室町時代から続き約500年以上もの歴史を持ちます。当時山口を治めていた大内盛見という人物が七夕のお盆に父と母の冥福を祈るため、竹笹の上に高澄籠を灯したのが起源とされます。この燈籠は庶民の間にも盆行事として定着していきましたが、それにつれて、どの家庭でも扱いやすい提灯が代わりに用いられるようになり、山口の夏の夜にとって提灯は欠かせないものとなっていきました。

祭り当日は日が暮れると、商店街をはじめ市内各地に吊るされた10万個の提灯が一斉に光を放ち、道々が真っ赤なトンネルになっていきます。それに加え市役所前や公園では高さ15mに及ぶ「提灯ツリー」「すだれ提灯」など見事な提灯オブジェが建てられ、提灯神輿や提灯花笠が練り歩き、より一層町を明るく照らしてくれます。赤い光で照らされた山口の市内はどこか暖かく幻想的な雰囲気で、美しさとともに大内盛見の両親への祈りも感じられる、不思議な夜を過ごすことができます。