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祭り情報

阿波おどりなど徳島県の祭りの特色



四国南東に位置する徳島県は陸海ともに豊かな自然を持ち、古くは阿波国と呼ばれていた頃から鳴門海峡を挟んで淡路島と近かったこともあり、本土との交易なども盛んでした。そのため商人の出入りや文化の交流も盛んで、全国に知られる阿波踊りなど祭りの歴史の中にもそれらの影響が伺えます。

阿波おどり

阿波おどり

「踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃそんそん」のフレーズでお馴染み、国内を超えて世界にも広がり続けている、日本を代表する民族舞踏です。

400年以上の歴史を持ち、徳島に限らず日本の夏の定番のとして各地で大規模な阿波おどりが踊られていますが、徳島はその発祥の地だけあって開催規模も訪れる人数も最大級です。祭りは毎年8月の四日間かけて行なわれ、日が暮れた市内の公園広場や通り、演舞場を舞台に10万人以上の踊り子と1000を超える連(阿波おどりを踊る団体)が「よしこの囃子」と鳴り物の演奏に乗せて踊り明かし、徳島全体を阿波おどりのリズムが包み込まれます。屋外での総踊りだけでなく、昼間の屋内会場では有名連による「選抜阿波おどり大会」、市内興源寺での「奉納阿波おどり」なども行なわれ、まさに期間中は阿波おどりの一大イベントとなっています。

長い歴史を持つ阿波おどりですが、踊りが繁栄し始めたのは天正14年(1586年)頃、藩祖である蜂須賀家政が塩や藍によって徳島を発展させてからのことでした。この藍商人によって踊りが豪勢な形になっていき、民衆たちの娯楽として定着し、戦後には復興のシンボルとして目覚ましい発展と広がりをとげて日本を代表する舞踊にまでなっていきました。しかし踊り時代の起源については諸説があり、

・阿波おどり内で数人によって構成される「組踊り」が、能楽の起源とされる「風流」の流れを組んで始まったものだとする「風流踊り起源説」

・天正15年(1587年)、蜂須賀家政によって徳島城が完成したことをお祝いする一環として、城下の人々が舞踊ったのが起源とする「築城起源説」

・旧暦7月に行なわれていた盆踊りから変化していったものだとする「盆踊り起源説」

などその始まりが何だったのかについては明らかではありません。しかしこれらの踊りは徳島の人たちに常に支えられ、発展を遂げながら現在の阿波踊りになっていきました。県も国も超えてここまで阿波おどりが愛されているのは、何より徳島の人たちが踊りを400年以上も愛し続けているからではないでしょうか。

日和佐八幡神社秋祭り

天平六年(1351年)の創祀であり、誉田別命(応神天皇)を御祭神とする美波町日和佐八幡神社の秋季例祭です。毎年10月の二日間にかけて開催される秋祭りで、初日に行なわれる「ちょうさ」という「太鼓屋台」8台の町内巡行と、その屋台と神輿が太平洋を望む大浜海岸の御旅所まで神幸する二日目の「お浜出で」が最大の見どころです。

「ちょうさ」は最も古いもので寛政7年(1795年)に戒町で造られたものが残っており、豪商である谷家が大阪から宮大工を招いて造らせたと伝えられています。彫り物や金糸刺繍で美しく彩られたその姿は、ちょうさの原点としてふさわしい貫禄です。その他の町に伝わる7台も江戸時代に造られたという記録を有しており、古くからの太鼓屋台が近年に造られた子供みこしやギャルみこしとともに町を巡行する姿は美波の歴史を感じさせます。

そして二日目の「小浜出で」には大勢に担ぎあげられたちょうさたちが神社から大浜海岸までを練り歩き、海岸沿いを進んでいくという海沿いの町ならではの光景が展開されますが、中には海へと飛び込んでいくちょうさもあります。ちょうさを担ぐための担ぎ棒はイカダのような形で組まれますが、これは海に入った時に安定感を増すためだといわれています。首まで浸かってしまいながら進んでいくちょうさと担ぎ手たちの姿は、祭りのクライマックスを大いに盛り上げてくれます。小浜出でが済むと神輿とちょうさは神社に戻り、手打ち式をもってこの勇壮な祭りは終了となります。

ビッグひなまつり

勝浦の人形文化交流館を中心に、全国から集められた約3万体にも及ぶひな人形が市内に飾られるという日本有数の規模を持つ盛大なひな祭りです。祭りは平成元年、阿波勝浦井戸端塾の町おこしと人形文化の伝承、そして「全国の家庭で飾られることがなくなってしまったひな人形たちを供養しよう」という思いから始まりました。毎年全国より不要になったひな人形を送ってもらい、現在は約3万という数のひな人形が集まっています。会場の中央には高さ8メートル、幅20メートル、段数25段というひな壇を4面に組み合わせた、巨大なひな壇の「大ピラミッド」が建設されており、年々その規模を拡大し続けています。

会場には地元の方々が作成した「ちぎり絵びな」「ダルマびな」も展示され、徳島県より勝浦町へ移譲された人形浄瑠璃舞台や、勝浦で200年の伝統を持つ阿波人形浄瑠璃『勝浦座』の上演も行なわれるなど、ひな人形だけではなく徳島阿波の人形文化を現代に伝える祭りとしても成長を続けています。期間中には勝浦の特産、名産品が並ぶ「ひな市」が開かれ、祭りの最後には徳島の定番阿波踊りも行なわれることもあり、市内だけでなく観光客も多く訪れています。その活動は日本各地にも及び、千葉県の勝浦市と和歌山県の那智勝浦町にも「里子」としてひな人形をそれぞれ送り「かつうらビッグひな祭り」「南紀勝浦ひなめぐり」の開催に協力するなど、ひな人形の輪をどんどん広めています。