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祭り情報

博多どんたく港まつりなど福岡県の祭りの特色



九州地方最大の都であり玄関口でもある福岡県は、その地形から陸と海両方の交易が盛んであり、日本と海外双方の文化が集まる場所でした。それ故か古来からの伝統を起源に持つ祭りの中には、各地域との交流の歴史が背景に残っているものが多く見られます。

博多どんたく港まつり

博多どんたく港まつり

福岡市内で毎年5月に盛大に行なわれる祭りで、市内の会場やパレードを舞台に老若男女関係なく様々なイベントを楽しむ市民参加型の祭りです。

この祭りは治承3年(1179年)より行なわれていたとされる、新年の祝賀行事「(博多)松囃子」を原型として始まりました。松囃子はお正月にあたり、七福神である福神様・恵比寿様・大黒様たちが馬にまたがり行列をなして町中を巡行するというもので、平安時代に京都から伝わってきたものと記録されています。神様ごとに行列が作られ、太鼓や鉦でお囃子を演奏しながら唄う稚児たちと山鉾を建てた大人たちを伴い進むというものでしたが、博多町人たちはこれに発伝統芸能の披露なども加え独自のパレードとして発展させていきました。明治時代には政府により中止命令が出され、7年間の間その歴史は途切れてしまいましたが無事復活し、オランダ語で休日を意味する「ゾンターク」を語源として「博多どんたく」と名前を改めました。その後戦争により再び中止となってしまいましたが、戦後になると人々は焼失を免れた太鼓やハリボテでどんたくを再現し、町の復興にむけて心を奮い立たせていたことをきっかけとして、昭和22年より博多どんたくが年に一度の祭りとして行なわれるようになりました。昭和33年からは市民が誰でも参加できる「博多どんたく港まつり」が行なわれるようになり、七福神様の行列以外にも様々なパレードや総踊りで盛り上がる祭りとして現在に至ります。

祭りはその起源である博多松囃子の行列でスタートし、学校や会社など様々な団体が芸や踊りを各自思うがままにパレード内で披露していきます。その参加団体数は約650、出演者数は3万人以上にまでなり、この時期に行なわれる祭りでは日本でも最大の規模を誇る、福岡を代表する市民たちの祭りです。

博多祇園山笠

博多の総鎮主として知られる櫛田神社において祇園神である素盞鳴尊(すさのおのみこと)への奉納神事として始まった盛大な祭りで、人形が乗せられた山車である「飾り山」・「舁き山」という二種類の山笠が博多の夏を熱気で包み込む、どんたくと並び福岡県を代表する祭りとして知られています。

祭りのはじまりは仁治二年(1241年)、当時の博多で疫病が蔓延した際、これを祓おうと聖一国師なる人物が町民の担いだ「施餓鬼棚」という祭壇の上にのり、町中に祈祷水をまいて回ったことに由来するとされます。この鬼棚が発展して山笠となり、また祇園信仰とも結びつき現在の山笠神事が行われるようになったという説が有力です。

山笠は人形職人たちの技術によって精巧さを増していき、天正15年(1587年)豊臣秀吉の「太閣町割り」をきっかけに地区ごとで山笠を保存する「流れ」が定められるなど発展を遂げていきました。明治以降は政府や戦争によって何回が中止の危機を迎えましたが、最盛期にはその高さは16メートルにも及ぶほどの大きさだったといいます。

現在は二種類ある山笠のうち、七つの「流れ」から「舁き山」が出され博多の町を巡行しています。この舁き山は最盛期の山笠と比べると半分ほどの大きさしかありませんが、これは背が高すぎると電線に引っかかってしまうため、明治以降に定められた体制です。しかしそれでも重さは約1トンもあり、20人を超える男たちに舁きあげられながら博多の町を進む様子は迫力満点です。

また舁き山と対照的に「飾り山」は本来の大きさに近い高さと大きさを持ちますが、こちらは舁きあげるのではなく祭りの期間中市内に展示されるための山笠です。その分細部まで綿密に作りこまれた飾りは芸術的であり、どれも息を飲むような仕上がりになっています。山笠に乗せられる人形は歴史上の人物や物語に由来して造られるものが多いですが、人形は山笠が出された地域を表現する「顔」でもあるため、毎年一流の人形職人たちが精魂を込めて製作しています。

舁き山はそれぞれの地区を練り歩く「流舁き」に始まり、全ての山笠が一同に揃う「集団舁き」など日によってイベントをこなしながら市内を巡行していきますが、最終日境内から博多の町を通りゴールまで辿り着くタイムをすべての流が競う「追い山傘」は必見です。最初から最後まで博多を彩る山笠は、博多の暑さを吹き飛ばしてくれる存在として、福岡の夏の風物詩となっています。

風治八幡宮川渡り神幸祭

田川市に位置する風治八幡宮にて毎年5月に行なわれている祭礼で、神輿や山笠の行列が川を渡って御旅所まで向かうことから「川渡り」と呼ばれています。永禄年間に蔓延した疫病を退散させるため、同社境内に祇園社を創建し素盞鳴尊が祀られました。これによって疫病は無事収まったため、神様への御礼として祇園祭に伝えられる山笠を製作し、彦山川の向こうの御旅所まで神幸祭を行なったことが川渡りの始まりだといわれています。

メインイベントとなる「川渡り神事」には総勢60人で舁きあげられる国内最大級の大神輿が用意され、五色のバレンで飾りたてられた前後二段屋根造りの豪勢な幟山笠11基とともに彦山川を突き進んでいきます。山笠ごとに異なる囃子が演奏される中、神輿と山笠を子供と大人が協力しあい清流を渡していく姿は勇壮かつとても美しい光景を醸し出します。無事渡りきった山笠たちは翌日の還幸祭までの間提灯でライトアップされ、夜中は川沿いに光りが浮かぶ幻想的な姿を演出してくれます。

川渡りが祭りのメインではありますが、その前には町中の神輿巡行や安全を祈っての獅子舞奉納、山笠同士が競争を行なう「川渡り競演会」など見どころもたくさんあります。この美しさと勇壮さを兼ねそろえた水の祭りは、福岡県指定無形民俗文化財第一号に指定された記念すべき祭礼でもあります。