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祭り情報

長崎くんちなど長崎県の祭りの特色



九州の西端に位置する長崎県は海に囲まれた地形を持ち、古くからヨーロッパ、中国など各国と貿易が盛んな土地でした。長崎名物であるカステラの伝来や鎖国時代に作られた出島、島原の乱など国際都市ならではの文化や事件の痕跡が多く残っていますが、それら外来の文化が導入され栄えた祭りも同様に豊富です。

長崎くんち

長崎くんち

毎年10月に長崎市全体をあげて行なわれる長崎の氏神・諏訪神社の秋季大祭です。1000人の行列を従えた諏訪・住吉・森崎の三大神輿の御神幸と、神社や御旅所の踊り場で演じられる「奉納踊」が祭り最大の特徴で、長崎県でも最大の規模を誇る祭りです。「くんち」というのは九州地方において秋の節句である9月9日を表す「お九日」「御供日」の言葉が変化したものであり、神様にお供えを捧げる祭りの時期のことをいいます。

この祭りは寛永11年(1634年)、オランダの出島が作られたのと同じ年、高尾と音羽という二人の遊女が「小舞」を神社神前で舞い奉納したことから始まったといわれています。以降、長崎奉行の援助や町ごとに踊りを踊るようになり、段々と大きく発展していくこととなりました。また長崎と交流があったオランダや中国の踊りを取り入れるなど、長崎ならではの国際色豊かなイベントでもありました。現在は七つに区分された市内の町からそれぞれ一町が七年に一度奉納踊の当番となり、祭りの四ヵ月前からお祓いを受け出し物の練習を開始する「小屋入り」を行ないます。そして祭りが始まると、神幸祭にあわせて場所を変えながら町ごとの踊りや出し物が傘鉾とともに奉納されていきます。

・中国での雨乞い神事を原型に持ち、ドラや太鼓の囃子に合わせ作り物の龍が生きているかのように舞う「龍踊り」

・魚問屋の町であった万屋町の逸話に由来し、2トンもの重さを持つ鯨を漁師たちが曳きまわす「鯨の潮吹き」

・4名の太鼓打ちが上に座り、屋根に大きな座布団が5枚重なった太鼓山を大勢の男達が担ぎあげ、太鼓の合図とともに回転させたり上に放り投げたりする「コッコデショ」

など町ごとに踊りや曳き物が披露されますが、それを全て含めて「奉納踊」と称します。これらは神輿が御旅所から神社へ戻るまでの三日間に行なわれ、観客たちは毎年変わる出し物を「モッテコーイ」(アンコールの意)「ショモーヤレ」(所望するからもうひとつやれ)など独自の掛け声で盛り上がりながら楽しみにしています。

長崎ランタンフェスティバル

横浜や神戸と肩を並べる中華街・長崎新地中華街を中心に、市全体に約1万5000個にもおよぶ「中国提灯(ランタン)やオブジェが飾られる華やかな祭りです。毎年旧暦1月1日から15日の期間に行なわれますが、これはランタンフェスティバルが中国の旧正月をお祝いする「春節祭」をもとにして始まったからです。

長崎では1571年のポルトガル入港以来、オランダをはじめヨーロッパや中国との国際貿易を盛んに行なって来ました。そんな中オランダ人にとっての出島と同様、中国からの貿易品を貯蔵しておくための場所として作られた新地に、明治維新後中国人たちが移り住んでできたのが長崎新地中華街でした。この街で中国人たちが街の復興のために行なっていた春節祭の華やかさが注目され、平成6年より長崎の中心全体を会場に行なわれる盛大なフェスティバルとなりました。

祭り中は公園やアーケード街に赤く光る異国情緒あふれるランタンが並び、十二支の動物や孔子、秦の始皇帝など日本でもお馴染みの人物たちのランタンオブジェが夜の長崎を明るく照らします。

清朝時代のお正月に皇帝・皇后が民衆たちと一緒に新年を祝う光景を表現し、皇帝役には長崎県の有名人が毎年選出されることでも注目を集める「皇帝パレード」、日本のものとはまたひと味違い、派手な色の衣装と打楽器の演奏、そして激しい動きが特徴の「中国獅子舞」、息を飲むような縁起が続出するアクロバティックな「中国雑技」、長崎くんちでもお馴染みの、龍を操り雨乞いの神事の姿を再現した「龍踊り」など各種イベントも豊富に行なわれ、中国の文化をたっぷりと楽しむことができます。江戸時代より各国と交流を続けてきた国際都市長崎ならではの祭りです。

のんのこ諫早まつり

長崎県の中央に位置する諫早市にて毎年9月に開催される祭りで、江戸時代より続いているという「のんのこ節」の街踊りをメインイベントに、自然豊かな市内各地に伝わる民謡や郷土芸能の競演が行なわれます。

「のんのこ節」は方言で「かわいい、愛らしい」という意味を持ち、両手に小皿を二枚ずつ持って踊ることから「皿踊り」とも呼ばれる全国でも珍しい踊りです。この民謡は江戸時代の参勤交代での事件を起源に持ちます。当時の諫早藩主が江戸への参勤交代で箱根の関所を通過中、関役人が居眠りをしていて気が付かなかったため、そのまま関所を通過しようとしました。本来関所を通過する際は持っている道具を全て倒してから進まねばならないのですが、彼らはそのまま通過しようとしました。その途中で起きた役人はこれに怒り一度引き返すように命令しましたが、足軽頭の小柳与右衛門という人物が「どうして最初に止めようとしなかった。引き返せというなら職務怠慢のその者らがまず腹を召されよ」と啖呵を切ると役人は答えられず、そのまま関所を通過させました。そこで諫早の一行は「道具を倒さずに関所を越えたのは我らの藩だけだ」と言って喜び酒の席を設けたのですが、その時にとある藩士がその場で作り歌った謡曲が「のんのこ節」として伝えられています。

祭り本番では諫早公園一帯を中心として、伝統衣装に身を包んだ6000人以上に及ぶ参加者が皿の音を鳴らしながら商店街を踊り歩いていきます。飛び入り参加も可能なこの街踊りや市の各種郷土文化に加え、九州各地の芸能踊りや名産料理のお披露目も行なわれる、長崎の中央である諫早市の魅力を堪能できる祭りです。