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祭り情報

八代妙見祭など熊本県の祭りの特色



古くは肥後と呼ばれていた熊本県は九州の中央に位置し、各県と近接しながら海とも面している、海陸どちらとも交流が盛んな国でした。そのため国内外双方との繋がりが祭りの中に見える他、世界最大級のカルデラを持つ阿蘇山との関係から火に関連した信仰形態も見られます。

八代妙見祭

八代妙見祭

北極星と北斗七星を神格化した存在であり、中国からやってきたという「妙見神」を祀る八代市妙見宮(八代大社)の秋季大祭で、県下でもかなりの大きさを持つ祭りとして知られており「九州三大祭」にも数えられています。

この祭り最大の見所は、6㎞ほどの道のりを多種多彩な練り物や芸能が続いていく神幸行列の練り歩きで、その見事さから重要無形民俗文化財に指定されているほどです。神幸行列には約40種類ほどの出し物が続き、雌雄一対で構成され、元禄時代の八代城下の豪商・井桜屋勘七が神様より直々に舞い方の作法を教わったと伝えられている「獅子」、代々八代城主の愛馬の中から選出されていたという由緒ある「神馬」、今後一年の天候がどうなるか占いの結果によって並ぶ順番が変わる、赤の面を着けた「火王」「青の水王」「黒の風王」、元禄時代より神幸祭に出されているという9基の「笠鉾」、他にも花奴、大太鼓、阿須波神、四神旗、飾馬(花馬)など伝統的かつ華やかな構成の行列が続いていきます。行列は塩屋八幡宮を出発し、八代神社を経由して砥崎の河原まで向かうのですが、その途中の広場や境内を会場に行われる迫力ある獅子舞や各種演舞も必見です。しかしその行列の中でも特に注目を集めているのが「亀蛇(きだ)」という謎の動物です。

この亀蛇は地元では「ガメ」という愛称で呼ばれており、亀と蛇が合体したという空想上の神獣なのです。その姿は耳の着いた亀のような、蛇のような、もしくは龍のような顔をしており、キリンの如く長い首を持ち甲羅を背負った奇妙な姿をしています。その全長は4メートル、体重は200キロほどもあり、その姿と相まって行列の中でもかなりのインパクトを与えています。ではこの獣が何者なのかというと、妙見神が中国明州から日本にやってきた際、その背中にまたがって海を渡ってきたと伝えられる存在なのです。亀蛇は北の方角を守護するといわれる中国の四聖獣「玄武」が元であると考えられており、妙見神の仏神像も亀蛇の台座に乗っていることから、妙見神とは切り離すことのできない存在なのです。もちろん巡行途中の演舞にはこの亀蛇も参加し、器用に回転する姿には観客も大いに盛り上がります。

今でこそ豪華な巡行が行なわれていますが、妙見宮は延暦14年(795年)に上宮が創建されて以降検地政策などによる荒廃や祭礼の衰退を経験し、今のように華やかな出し物が奉納されるようになったのは元禄時代以降だといいます。単に豪華絢爛なだけでなく、そういった長い歴史を今に伝える由緒ある祭りでもあるのです。

山鹿灯籠まつり

山鹿市大宮神社に600年以上前から伝わる祭りであり、室町時代から続く精巧な「山鹿灯籠」が町中に飾り付けられる市全体をあげての祭りです。この山鹿燈籠は普通の燈籠のように木や金属の部品を一切使用せず、「灯籠師」と呼ばれる職人たちに手で和紙と糊だけを用いて造り上げられる芸術的な燈籠です。

この燈籠まつりが行なわれるようになったのは室町時代ごろとされていますが、その起源はそれよりも昔、第十二代景行天皇のころだと考えられています。当時菊名川を遡って山鹿の地に降り立った景行天皇が突然の霧によって道を見失った際、山鹿の人々が火の点いた松明をかかげてこれを導いたことが灯籠の起源という説が有力です。その後しばらく祭事の際は松明を捧げていたのですが、室町時代より現在の灯籠を奉納するようになったと記録されています。

祭りが始まると町中に灯籠が飾り付けられ、河川での花火大会、景行天皇の奉迎儀式の再現などイベントが各地で行なわれますが、祭りのラストに行われる「千人灯籠踊り」と「上がり灯籠」の美しさは格別です。

千人灯籠踊りはその名のとおり、小学校のグラウンドを舞台に千人の女性による華やかな「灯籠踊り」が行なわれるというものです。灯籠踊りとは女性が灯籠を頭に乗せ、地域に伝わる「よほへ節」という民謡にあわせて優雅に舞う踊りです。櫓を千の淡い光が囲み、女性ならではのしなやかな動きで流れていく様子はとても美しく神秘的な雰囲気さえ感じられる光景です。

そして祭りの最後に行なわれるのが、町中に飾られた灯籠を大宮神宮に奉納する上がり灯籠です。町中の灯籠は「ハーイとうろう」という掛け声とともに町人たちの手で神社に次々と運びこまれ、献灯の儀を受けた後神社の神苑に並べられます。この時灯籠たちが夜の苑内と神社を照らす明るくも幻想的な光景は、古くから伝えられる灯籠まつりのクライマックスです。

天子宮の火祭り

和銅6年(713年)道君首名によって疫病退散を願って建立された玉名市小天神社(天子宮)にて毎年10月に開催されている勇壮な神事の一つで、その勇壮さから県下でも特に有名な「火渡り神事(火祭り」です。

この神事の起こりは神社を建立した国司道君首名本人のエピソードに由来します。彼は天子宮を創建して医を司る少彦名神・大名持命の二神を招き、疫病の退散を祈願し続けました。すると疫病の蔓延は収まったというのですが、首名当人は本当に病魔は去ったのかを不安に思い、3回燃え盛る火の中を渡ってみました。しかし体に火傷の後は全く残らず、これによって疫病が本当に消え去ったことがわかったといいます。神社が建てられて以来伝えられているこの故事にちなみ、神社では火渡りを始めとする神事が行われるようになりました。

当日は火も暮れた夕方頃、参加者たちの行列と少年たちによる神楽の奉納から祭りが始まります。境内の中心には175本の丸太を組んで作り上げられた櫓に火が灯り、燃え盛る炎が否が応にも「火祭り」の雰囲気を醸しだしてくれます。そんな炎を背後に拝殿に突入しようとする氏子衆とそれを止めようとする守り手たちとの「押し合い」は祭りの盛り上がる場面の一つです。そうしているうちに櫓の火が収まったころ、おき火が均等に広げてならされ、祭りのメインイベント「火渡り」が始まります。渡るのは神楽を演じた少年たちの中から二人が選ばれ、烏帽子を被り、狩衣を身にまとった正装姿で素足のまま首名と同様三度渡りきり、祭りはクライマックスを迎えます。これには思わず観客からも不安の声があがりますが、逸話と同じく火傷をおうことはまったくないそうです。