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祭り情報

師走まつりなど宮崎県の祭りの特色



九州南東に位置する宮崎県は広い海岸線と暖かな気候、特産品に恵まれた自然豊かな土地を持っています。その一方で日本神話をはじめとするたくさんの伝承や古墳を持つ「神話の国」でもあり、伝えられている祭事や祭りにはそういった伝説が由来となったものが多数見受けられます。

今山大師祭

今山大師祭

日本一の弘法大師銅像が建つことで有名な延岡市の今山大師に伝えられる祭りで、毎年4月に市全体をあげて行なわれています。今山大師は天保10年(1839年)、延岡で疫病が流行した際、信徒たちが高野山金剛峰寺より弘法大師座像を勧請し、疫病退散のために大師庵を建設し祀ったことにより始まりました。以降「家内安全」「息災延命」「五穀豊穣」「商工発展」を祈願するものとして今山大師は人々に受け入れられ、弘法大師の命日に際し感謝と供養を捧げるために始まった「今山大師祭(通称おだいっさん」も延岡全体をあげて開かれるほどのものになりました。また高さ18メートル、重さ11トンにも及ぶ日本一の弘法大師銅像は、1957年に平和と幸福を祈願して今山大師寺の頂上に建てられたもので、町全体を見渡しています。

祭りの期間中は三日間に渡る大法要が行なわれる他、お寺への参道にはたくさんの露店が立ち並び、大使銅像の横では演芸が奉納されます。お寺だけでなく商店街も盛り上がりを見せており、見立細工や造り物が町を彩る中物産展なども開催されます。また道行く人たちにお茶やお菓子を振る舞う「お接待」が行なわれるのもこの祭りならではの光景です。最終日には総勢1800名を超える参加者の「市中大パレード」の巡行も行なわれ、ばんば舞踊隊や大名行列などが織りなす行列の姿を一目見ようと県内外から多くの人が集まるほどです。ご詠歌と鈴の音が響き渡る中、大師銅像を中心に延岡全体が楽しむことのできる春の祭りです。

都井岬火祭り

串間市の都井に伝えられている「大蛇退治伝説」にちなんで行なわれている盛大な火祭りで、蛇に見立てた高さ30メートルの柱の頂上を狙って下から松明を投げ入れるという豪快な「火祭り」です。

その昔、ここ都井は荒井谷と呼ばれており、うっそうとした大樹によって覆われ、沼地が広がり昼間でも光が差し込むことのないような土地でした。そんな中沼から怪物たちが出現し村の人や動物たちに危害を加えていたのですが、妖怪帯の中でも最も恐ろしかったのが「大蛇」という存在でした。これに村人たちが恐れ困惑していると、衛徳坊という勇敢なお坊様が大蛇退治に名乗りをあげました。蛇は火を恐れているので、村人全員で火の点いた松明を手に持ち蛇を追いかけ、岩穴に追い込むことに成功しました。そこで衛徳坊が大蛇の口に松明を投げ入れ呪文を唱えると、蛇は口から火炎のような血潮を吹き出して息絶えました。こうして村には平和が戻り、大蛇も神の使いとして生まれ変わり人々にご利益をもたらすようになったと伝えられています。

都井岬火祭りはこの伝説に由来した祭りであり、蛇を退治して五穀豊穣をもたらすことを願って行なわれています。大蛇を表した高さ30メートルの柱を立て、その頂上(口の中)をめがけて「トントコトッテ エイトクボウヤ」(とうとう討ち取った 衛徳坊やの意)の掛け声をあげながらたくさんの参加者が衛徳坊さながらに火の点いた松明を投げ入れていきます。見事口の中に松明が入ると、仕掛けられていた花火に火が点火し、大きな火花が吹き上げられるのですが、これは大蛇が死の間際に口から血潮を吹いたことを再現しています。

師走まつり

「滅亡した百済の王族が宮崎へ亡命していた」という伝説に由来する祭りで、児湯郡比木神社に祀られている息子の福智王が、一年に一度東臼杵郡神門神社に祀られている父・禎嘉王の元へ会いに行くという祭りです。

660年の百済滅亡の際、なんとか脱出をした王族の禎嘉王・福智王親子が船で日本に亡命しようとする途中で時化に遭遇し、やむなく別々の浜辺に漂着をしました。それぞれ父親が神門に、息子が木城町にたどり着いた両親子は本国からの追討軍を退けつつもこの地を収め、死後神社に祀られるようになりました。祭りがいつ頃始まったかは定かではありませんが、この百済伝説を伝える証として、そして異国で離れ離れになってしまった親子の霊を慰めるものとして、1000年以上に渡り受け継がれ続けています。

祭りは三日にかけて行なわれ、比木神社から出発した福智王を宿した神輿行列が、浜での禊や父の墓がある古墳を訪れながら約90㎞もの距離を渡御し、迎え火を焚き待つ神門の父福智王の元に向かう「上りまし」、神門神社とその周辺にて山宮参りや小丸河岸での洗濯行事、神楽の奉納などが行われる「祭典/舞明かし」、顔に墨を塗るヘグロ塗りが行われた後、駕籠やザルを振りながら「オサラバー」と叫び別れを惜しむ人たちを背に再び親子の別れが訪れる「下りまし」の三日にかけて親子の一年に一度の交流が描かれます。この三日日の間にも百済伝説にちなんだ行事が各種行なわれ、「上りまし」では禎嘉王が漂着したという日向市金ヶ浜で禊が行なわれます。また火が焚かれるのは、禎嘉王が追討軍に対して火と煙を使った戦法で迎え撃ったという故事に由来してのことです。その一方で「下りまし」における「へグロ塗り」などこの地域特有の奇習も今に残しています。百済王族親子の伝説とともに、宮崎の地方文化もその中に伝えている祭りなのです。