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花火大会情報

花火の歴史



現在、世界各地で様々な種類が打ち上げられ、多くの人に愛されている花火。しかし、花火が世界に広まった当時は今のような形ではなかったと言われています。こちらでは花火が発展し、現在のような姿になるまでの歴史をご紹介しましょう。

火薬の発見

火薬の発見

花火を製造する過程において欠かせない材料と言えば火薬。花火の歴史を辿ると、一番初めにあるのが火薬の発明です。

硝石を主原料とする黒色火薬が最初に発明された国は中国と言われていますが、その時期は、はっきりと断定されていません。しかし、遅くとも唐の時代(618~907年)にはすでに利用されていたそうです。当時は主に軍事目的に利用されていたこともあり、最初の花火は敵陣に打ち込んで火事を起こしたり、相手を威嚇したりすることを目的とした、現在のロケット花火のような物であったと伝わっています。

花火はその後ヨーロッパに伝わり、観賞する物として進化していきました。

ヨーロッパにおける花火の歴史

このように中国で生まれた火薬は、13世紀にはアラビア商人によってイスラム諸国に伝わります。その後イスラム諸国からヨーロッパ各国に伝わり、武器などに活用されることとなりました。それと同時に花火の研究も進められ、比較的近代の形に近い最初の花火は、この頃にイタリアのフィレンツェで上げられた花火であると言われています。この当時、ヨーロッパの花火とは主に王侯貴族による物であり、王の権力を誇示するために用いられていました。

16世紀になると花火はイングランドを中心に大きく発展し、やはり戴冠式や王室の結婚式、誕生日などの王室に関する特別な日を祝うためにテムズ川で打ち上げられていたようです。

中国から伝わった花火は、王侯貴族が抱える職人たちの手によってより華やかで派手な姿へと進化していったのです。

日本への伝来

日本に花火が伝わった時期についても諸説ありますが、1613年(慶長18年)8月3日に明国の商人がイギリス人ジョン・セーリスと共に駿府城の徳川家康を訪ね、鉄砲や望遠鏡などと一緒に花火も献上したのが始まりとのことです。

これは、花火について信頼できる最も古い記録であり、「駿府政事録」、「宮中秘策」、「武徳編年集成」など数々の書物に記されています。

当時家康の手に渡った花火は火の粉を吹き出すだけの単純な立花火でしたが、この花火を目にした徳川家の鉄砲隊は大いに刺激を受け、花火製作に取り掛かりました。その後、稲富流、池田流、豊田流などの流派が三河に誕生。これをきっかけに三河は花火発祥の地とされ、全国に「三河花火」の名が知れ渡りました。現在も、岡崎を中心とした三河地方に煙火の製造業や問屋が多く集積しているのはこの名残と言えます。

江戸における花火の流行

家康の花火見物以降、花火はその他の諸大名にも伝わることとなり、特に尾張、紀州、水戸の親藩、仙台、加賀藩などの雄藩で大流行。江戸庶民も、夕涼みをかねて大名の花火を楽しみにしていたと伝わっています。

殿様の贅沢な遊びであった花火が、江戸庶民の間でも急速に流行したのは1623年(元和9年)のころ。花火好きで知られる3代将軍家光が花火を奨励したこともあり、江戸の町にねずみ花火などを持った花火売りの姿が見られるようになりました。このように江戸っ子の間で花火の人気が高まると、花火による失火などの事故も多発するようになります。これを受け、幕府は1648年(慶安元年)には花火を禁止するお触れを出したという記録も。

しかしそれからも度々、禁止令が出されていることから、禁を破ってでも花火を楽しむ庶民があとを絶たなかったことが分かります。

江戸時代の人々も現代の私たちと同じく、花火の楽しさと美しさに魅了されていたのです。