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秋の日本の祭り・花火大会情報

秋になっても花火が見たい!10月でも開催される花火大会



夏の風物詩である花火。夏気分が盛り上がる花火大会ですが、実は秋にも開催している場所があるのです。特に10月に見る花火は、夏とはまた違った雰囲気が味わえます。各地で行なわれる秋の花火大会の様子やおすすめの服装などをご紹介しましょう。

10月でも花火大会は開催されています

10月でも花火大会は開催されています

夏の行事として花火大会は切っても切り離せませんが、実は地域によっては秋にも花火大会が行なわれています。特に、10月は花火大会を行なう場所が多くあります。

神奈川県で温泉が有名な湯河原市では、夏の時期と10月に「湯河原温泉海上花火大会」を開催。湯河原海水浴場に浮かぶ、船から打ち上げる海上花火です。「湯河原温泉海上花火大会」の見どころは、高く上がる尺玉や海上花火で有名な水中スターマインなどが、湯河原の海を染め上げる美しい景色。

また、長野県内で行なわれる「川中島古戦場まつり大花火大会」は、かつて川中島の地で起こった合戦で犠牲になった人々の霊魂を追悼する目的で始まった花火大会。八幡原史跡公園から打ち上げられる花火は約3,000発で、音楽と花火が一体化するミュージックスターマインや特大スターマインなどが夜空を彩ります。10月に見る花火の魅力は、何と言っても涼しいところです。暑さも収まり、涼しい風が吹き始める中での花火鑑賞は快適。他にも、全国の花火師が茨城県に集まり腕を競う「土浦全国花火競技大会」や、2010年に花火大会としては初めてのグッドデザイン賞を受けた千葉県の「NARITA花火大会in 印旛沼」など、全国各地で10月に花火大会が開催されます。夏と秋の花火大会の両方を鑑賞して、比べてみるのも良いでしょう。

10月の花火大会で悩むのは服装のこと

9月中旬ごろまでは夏のような暑い日々が続くため、涼しい浴衣は花火大会におすすめの服装です。しかし、10月になると風も涼しくなり、特に夜は肌寒い日もあります。そのため、10月の花火鑑賞は浴衣よりも洋服がおすすめ。さらには夜の冷え込み対策として、ストールやカーディガンなど、体温を調節できる服を持って行くこと。それでも、せっかく花火鑑賞をするのなら浴衣を着たいという人の場合、浴衣ではなく「袷(あわせ)」と呼ばれる着物を選ぶといいでしょう。最近では、洋服のように上下が分かれている二部式着物や巻けばいいだけの作り帯があり、着付けはそれほど難しくありません。気分を盛り上げるのに、おすすめです。

知ればもっと楽しくなる、10月の花火大会・花火の種類

俳句の世界では、「花火大会」、「打ち上げ花火」、そして「仕掛け花火」は秋の季語です。

10月の花火大会は、茨城県の「土浦全国花火競技大会」に代表されるように、夏の間色々な地方の花火大会への参加に忙しい全国の花火師たちが一堂に集まり、名誉と技を競う大会があります。地方の有名花火師がそろうのは秋の花火大会ならではの特徴。花火大会に行くのなら、花火の種類を覚えるとより深く花火を楽しむことができます。たくさんある花火の種類から代表的なものをご紹介しましょう。まず、日本の伝統的な花火の種類と言えば「割物(わりもの)」。その中でも、最も古典的なのが菊の花や牡丹の花のような模様を描くものです。菊の「割物」は星と呼ばれる火薬の玉が、尾を引くように放射線状に飛び散りながら菊の模様が広がります。牡丹も菊と同じく丸い形ですが、菊のように星が尾を引かずに点滅し、菊よりも鮮やかに夜空に花を咲かせるのが特徴。「割物」の進化系花火が「万華鏡」と言って、打ち上げると小さな星が花びらのように散って、まるで万華鏡の中を覗いたような景色が広がる花火です。その他には、「ポカ物」という種類があり、代表的なのは、柳の枝のような光が垂れ下がるもの。大きな玉の中から紙に包んだごく小さな花火玉が、シュルシュルと音を立てながら縦横無尽に飛び回る「蜂(はち)」と呼ばれる種類の花火もあります。大きな玉から花火が開いたあとに時間差で小さな花火がいくつも開く「半割物」や、ハートや笑顔のマークなどが空に広がる「型物」と呼ばれる花火、水中から上がる「仕掛け花火」など様々。ときにはじっくりと、花火の種類を見ながら鑑賞してみるのはいかがでしょう。

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稲作を中心とした農業文化が歴史の中核を担う日本において、秋は五穀豊穣や神様への感謝を表す季節でもあります。そのため、全国各地で様々な秋祭りが開催されます。

寒川神社 流鏑馬神事

寒川神社 流鏑馬神事

相模国(現在の神奈川県)の一宮である「寒川(さむかわ)神社」では、毎年9月20日に例大祭が行なわれます。一年を通して最も重要なこの例大祭は、格式の高い神社ならではの荘厳さに満ちた由緒あるお祭り。また、この例大祭と同じぐらい人気なのが、例大祭の前日の9月19日に開催される「流鏑馬(やぶさめ)神事」です。この神事は「天下の泰平」と「五穀豊穣」を願って執り行なわれる神事で、鎌倉時代より続けられており、その後、開催が一時期途絶えることもありましたが、1966(昭和41)年に再開され、今に至っています。

この「やぶさめ」の由来は「矢馳せ(やばせ)馬」の語であると言われており、およそ190メートルの長さの馬場を馬が駆け抜ける間に、馬場沿いに設置された三ヵ所の的に向かって馬上の騎手が矢を放ちます。颯爽と駆ける馬のダイナミックな走りと、その馬にまたがったまま矢を放つ騎手の姿が見どころで、まるでスポーツを見ているかのような緊張感や感動を味わえます。

金刀比羅宮 例大祭

「こんぴらさん」の名で親しまれる「金刀比羅宮(ことひらぐう)」は、香川県琴平町にある神社で、海上交通の守り神である他、農業殖産や医薬、技芸にご利益がある神様として全国の参拝者から崇敬を受けています。神社は標高538メートルの象頭山(ぞうずさん)の中腹にあるため、麓の門前町から境内へ長い参道の石段が続いていることでも有名です。

金刀比羅宮の年間行事の中で最も重要なのが、毎年10月9日から11日にかけて行なわれる「例大祭」。一年にたった一度だけ、神様が象頭山から麓の門前町へと降りてくる「お下がり」と呼ばれるのがこの例大祭であり、そのため神霊が町へ行幸(ぎょうこう)する「御輿渡御(おみこしとぎょ)」が行なわれます。これはただお御輿を運ぶというだけにとどまらず、数百人もの大行列が金刀比羅宮本宮から門前町へのおよそ2キロメートルの行程を進む壮大な渡御となるのが特徴。さらに、夜9時に出発して、翌午前0時に到着する行事であるため、大変厳かな雰囲気の中での行幸であることもこの祭りの魅力。

お御輿は、馬に乗った男の子2人と、駕籠に乗った女の子2人が行列の先頭となり進みますが、その理由は邪心がない子どもたちのほうが、神様をスムーズに導くことができると言われているからです。この子どもたちのことを、地元の人々は「お頭人(とうにん)さん」と親しみを込めて呼ぶ習わしが今でも残されています。

豊川稲荷 秋季大祭

日本三大稲荷のひとつ、愛知県豊川市の「豊川稲荷」では、毎年11月22日と23日に「秋季大祭」が行なわれます。この祭りは「鎮座祭」とも呼ばれ、豊年を祈願・感謝し、国家の安泰を願い、人々が豊かに暮らせるように祈るためのお祭りで、商売繁盛や五穀豊穣の神様として、地元をはじめ多くの人々に愛されています。

豊川稲荷は、曹洞宗の寺である「妙厳寺(みょうごんじ)」の本尊・千手観音菩薩の守護神である「吒枳尼真天(だきにしんてん)」を祀るお寺です。そのため、鳥居は立っているものの神社ではなく、僧侶が境内の清掃や行事の準備に携わります。秋季大祭においても、祭りの一週間前から、僧たちは水をかぶり心身を清めて備え、連日午前4時と午後3時に大祈祷会を行ないます。こういった丁寧で周到な準備が行なわれていることからも、この秋季大祭の重要性が窺い知れます。

この祭りの目玉は、神輿の渡御行列(みこしのとぎょぎょうれつ)と大提灯です。豊川稲荷の使いである白い狐のお面を着けた若衆を先頭に、信徒代表、稚児(ちご)、神楽(かぐら)、神輿、僧侶の行列が、境内の本殿から鎮守堂まで練り歩きます。また書院前に掲げられる大提灯は、高さが10メートル、直径が5メートルにも及ぶ大きな提灯で、日が暮れるとともに灯りが点けられると、昼の賑やかな祭りから幻想的なお祭りに変わります。


秋祭りは本来、農作物の収穫を感謝するために始まったとされています。それが各地の風習によっていろいろ変化し、様々な様子を見せています。大阪の岸和田だんじり祭と岐阜の高山祭はどちらも山車が主役の祭りですが、一方は勇壮で激しさが見どころであり、もう一方は絢爛豪華で優雅さを漂わせます。正反対の趣の中にも、秋を告げる日本の原風景が見て取れます。また、出雲大社神在祭もぜひ見ておきたいお祭りで、全国から集まる神様をもてなす行事が連日続きます。

岸和田だんじり祭

岸和田だんじり祭

勇壮な男衆の掛け声に合わせて、だんじり(山車)が町の中を走ることで有名な岸和田だんじり祭は、毎年9月と10月に行なわれる迫力満点のお祭りです。岸和田市内の町ごとにだんじりを所有しており、「鳴り物」と呼ばれる祭り囃子に合わせてだんじりが各町の住民たちによって動き出します。だんじりは総欅造りで、優美な彫刻が施され、重さは4トンを超えます。前方には100m程の綱が2本付けられ、500人もの男たちが勢いよく曳いて、町の中を疾走します。だんじりには女性は乗ることができず、必然的に祭のイメージが男性らしさを見せるようになっています。見せ場は「やりまわし」と呼ばれるだんじりの方向転換で、疾走したままだんじりの向きを変える技に思わず息をのみます。「やりまわし」を速く、正確に行なうには、それぞれの持ち場の息を合わせることが大切で、日頃の仲間意識の高さが祭りの中でも現れます。

岸和田だんじり祭は、1703年(元禄16年)に、岸和田藩主だった岡部長泰が、京都の伏見稲荷を城内三の丸に勧請し、五穀豊穣を祈願するために行なった稲荷祭が起源とされています。当初は狂言などの芸事を演じたあと、三の丸神社岸城神社へ参拝していましたが、時代の変遷とともに祭の内容も変化し、今では地域の団結を表現する祭として全国的に知られるようになりました。

町内の統制の取れた組織力も岸和田だんじり祭の特徴で、子どもからお年寄りまで各年齢層で役割が決められており、役割を分担することで祭の運営が行なわれています。世代を超えて結束力の高い町内組織を築くことが祭の意義とされており、見せ場にもその力が発揮されます。

秋の高山祭り

飛騨の小京都・高山市では、毎年10月に高山祭が行なわれます。高山祭は春と秋に開催され、4月に開かれる日枝神社例祭を「春の山王祭」、10月の桜山八幡宮例祭を「秋の八幡祭」と呼んでいます。秋の彩りで染める「八幡祭」は、毎年10月9日・10日に、安川通りの北側・下町に10~11台の屋台(山車)が勢揃いし、曳き廻しやからくり奉納などの伝統行事が繰り広げられます。京都の祇園祭、秩父の夜祭と並んで日本三大曳山祭のひとつに数えられ、国の重要無形文化財にも指定されています。また、「動く陽明門」と呼ばれる絢爛豪華な屋台は、国の重要有形民俗文化財に指定されています。

祭の起源は16世紀後半から17世紀頃とされており、幾多の変遷を経ながらも、江戸時代に現在のような祭行事が確立され、今も江戸文化の面影を残す伝統行事として受け継がれています。

祭行事の見どころは、「御神幸」と呼ばれる行列で、闘鶏楽、裃姿の警固など伝統衣装をまとった数百名の行列が、お囃子や雅楽などを披露しながら市内を巡行します。そして豪華な屋台が秋空の下で曳き揃えられます。このときは屋台の彫刻や構造など細部にまで鑑賞できるとあって、多くの見物客が屋台を取り囲みます。桜山八幡宮の境内では1日2回、布袋台によるからくり奉納が披露され、屋台に仕組まれたからくり人形の妙技に、大きな喝采が寄せられます。

9日午後には4台の屋台が町内を巡る屋台曳き廻しが行なわれます。この行事は秋の高山祭だけで行なわれ、沿道から勇壮な姿が眺めることができます。9日の夕方には宵祭が始まり、100個程の提灯を灯した屋台が町内を回りながら各屋台蔵へと帰っていきます。徐々に深まる秋を惜しむかのように幻想的な灯りが町を照らす姿は、高山祭の別の魅力を物語っているようです。

神迎祭と神在祭

毎年10月は、全国の八百万の神が出雲国に集まります。そのため全国では10月を神無月と呼び、出雲だけは神在月と呼んでいます。神々が集う出雲では、出雲大社をはじめ各神社では神を迎える神事が行なわれます。「神迎神事・神迎祭」と言われるこの祭りは、毎年旧暦10月10日に実施されます。神話の舞台である稲佐の浜で御神火がたかれ、奏楽が奏でられる中を龍蛇神と言われる神々の先導役が浜から出雲大社に向かって練り歩きます。参拝者もこれに続き、長い行列が出雲大社を目指します。

出雲大社に着くと神楽殿で神迎祭が行なわれ、集まった神々は宿舎となる出雲の19の社に鎮まるとされています。

神を迎えるという厳かな儀式は、古来の作法に則って執り行われ、見ている人にも緊張感が走ります。神迎祭が終わると引き続き神在祭が行なわれます。各地の神々は出雲に7日間滞在して、人々の人生や作物のでき映えなどの会議を開くと伝えられています。祭事期間中は、出雲の人々は歌舞を嗜まず、家を建築しないなど、神の会議の邪魔をしないように静かに生活を送るそうです。

また、神在祭の最中には、神々に良縁の願い事を聞いてもらおうと縁結大祭が開かれ、全国から良縁を望む人たちが大勢集まります。


各地で様々な秋祭りが開かれる中、伝統と歴史が感じられる秋の代表的なお祭りを紹介します。見どころが多く、海外からも注目を浴びています。

おわら風の盆

おわら風の盆

二百十日の初秋の時期、「おわら風の盆」が富山県富山市で開催されます。毎年9月1日から3日まで行なわれるこの祭りは、揃いの浴衣に編み笠を着けた踊り手たちが、町内を踊りながら練り歩きます。夕暮れには家並みに沿ってぼんぼりが灯され、祭りを美しく演出します。全国から大勢の観光客が訪れ、幻想的で優美な様子に酔いしれます。

祭りの起源は、江戸中期の元禄時代と言われ、加賀藩から下された「町建御墨付」を八尾の町衆が、町の開祖から取り戻した祝いに、三日三晩町を練り歩いたのが始まりとされています。三味線、太鼓、尺八などを奏でながら、俗謡、浄瑠璃などを唄い、仮装して踊り歩きました。これをきっかけに、お盆である「孟蘭盆会」でも練り歩くようになり、やがて二百十日の風の厄日に、風神の鎮魂を願う「風の盆」として行われるようになったとされます。

「おわら」の由来はいろいろありますが、一説では、江戸時代に、芸達者な人々が新しい唄を作り、唄の中に大笑いを意味する「おわらひ」という言葉を入れて町内を練り廻ったのが「おわら」に変化したという説と、豊年万作を祈念した「おおわら(大藁)」のことを指す説もあり、はっきりとは分かっていません。

また、「風の盆」の由来は、二百十日の頃は台風が来る季節で、昔から収穫前の稲が風の被害に遭わないよう、豊作祈願が行なわれてきました。そこから「風の盆」と言うようになったと言われています。

時代祭

時代祭

時代祭」は、毎年10月15日から23日まで開かれる平安神宮の祭りで、京都三大祭りのひとつに数えられています。三大祭りの中では一番歴史が浅く、1895年から開催されています。この年に平安神宮が創建され、それを祝う記念事業として始まりました。

祭りのクライマックスは、22日に行なわれる時代風俗行列です、8つの時代の衣装や道具を身に付けた人々が、京都御所を出発して京都市の中心部を練り歩き、平安神宮まで向かいます。時代の先陣を切るのは明治維新で、次いで江戸、安土桃山、室町と時代が遡っていきます。坂本龍馬、織田信長、紫式部など、各時代の著名人に扮した人たちが歩く姿は、まるで凝縮した日本の歴史を見るようで、特に外国人観光客に人気があります。祭りが始まった当初は、室町時代は歴史的経緯から外されていましたが、2007年の平安遷都1200年記念大祭から新たに行列に加わりました。なお、時代風俗行列が行なわれる夜には、京都市内の由岐神社の例祭である「鞍馬の火祭」も行なわれ、昼・夜と2つの祭りが楽しめます。

長崎くんち

長崎くんち

中秋の長崎市で開かれる「長崎くんち」は、諏訪神社の祭礼で、国の重要無形文化財に指定されている由緒ある祭りです。龍踊(じゃおどり)、クジラの潮吹き、太鼓山(こっこでしょ)、御朱印船(ごしゅいんせん)など、かつての南蛮文化が栄えた都市にふさわしい独特な奉納踊りが見どころです。

長崎くんちが始まったのは1634年で、諏訪神社の神前で2人の遊女が踊りを奉納したことが起源とされており、当時の長崎奉行はキリスト教徒を鎮圧するためにこの祭りを奨励したとされています。10月7日から9日までの3日間を、それぞれ前日、中日、後日に分けて神事が行なわれます。長崎市内の各町は諏訪神社の氏子にあたり、町ごとに「演し物」と呼ばれる踊りがあります。奉納時には傘鉾を先頭に境内に出向き、神前で奉納踊りを行ないます。賑やかなかけ声と独特の踊りは力強くダイナミックで、国際色豊かな風合いも観光客を魅了します。

長崎くんちの「くんち」は、旧暦の重陽にあたる9月9日に行なったことから、「くにち」が「くんち」となったと言う説が有力視されています。長崎市以外にも、唐津市の「唐津くんち」、福岡市の「博多おくんち」があります。