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日本の祭り・花火大会情報(春)

春の澄んだ夜空をきれいに彩る!春開催のおすすめ花火大会



夏の風物詩とも言われる花火大会ですが、実は春にも開催されています。春の夜空に浮かび上がる花火は、また夏とは違った美しさ。時期によっては桜とのコラボレーションを楽しむことも可能です。そこで今回は、春に毎年行なわれているおすすめの花火大会についてまとめてみました。

花火大会とペーロン競漕が楽しめる春開催の祭り

花火大会とペーロン競漕が楽しめる春開催の祭り

兵庫県相生市で行なわれているおすすめの春の花火大会が相生ペーロン祭り。毎年5月に開催され、全国的にも知名度の高い伝統的なお祭りです。ペーロンとは、アジアで代表的な伝統行事「競漕」のことであり、17世紀頃に長崎へ伝わってきたとされています。そして造船所従業員の中に多くいた長崎出身者たちが、故郷を懐かしんで始めたペーロンをきっかけとして、1922年(大正11年)頃ペーロン競漕が相生でスタートしました。

祭り内で行なわれるペーロン競漕には毎年約60~70チームが参加し、600~900mの距離の速さを競い合います。艇に乗り込むのは計32人。その内28人が漕ぎ手で、4人が銅鑼や太鼓を叩きます。音に合わせて掛け声を響かせながら櫂(かい)を漕ぐ様は、非常に見応えがあり迫力も満点。速さだけでなく、いかにチームの仲間と息をひとつにできるかという点が、ペーロン競漕の見どころです。折り返しのターンで一発逆転することもあり、様々な物語を生み出す白熱のレースは、観客たちの心を打ちます。

また、この前日には、ペーロン競漕の前夜祭として海上花火大会を開催。スタンダードな打ち上げ花火をはじめ、キャラクター花火や水中花火など約5,000発もの花火が豪華に打ち上げられ、会場に訪れる人々を魅了します。

春の沖縄は花火大会も見られる旅行の穴場シーズン

春に開催される花火大会は沖縄にもありますが、毎年4月半ば頃に宜野湾海浜公園トロピカルビーチにて開催されている琉球海炎祭は、沖縄に初夏の訪れを告げる花火大会です。2004年(平成16年)に始まって以来、毎年開催されています。

打ち上げ数は大迫力の1万発。春開催される花火大会は各地でも複数ありますが、この打ち上げ数はその中でもトップクラスです。東シナ海の夜空に数えきれない程の大輪の花が咲きます。その他沖縄らしい民謡やオペラ、J-POPなどのサウンドに合わせて花火が打ち上げられるのも琉球海炎祭の特徴のひとつ。音とコラボレーションした花火は、従来の花火大会とは違った楽しみ方を発見することができます。

そして沖縄の祭りに欠かせないのがエイサー。エイサー隊が会場を最高潮に盛り上げたのち、その余韻が残る雰囲気の中で打ち上げられる花火に観客席からは歓声が沸き起こります。

また、沖縄は7~8月頃が多くの旅行客が訪れる人気のシーズンなので、観光客があまり多くなく、穴場シーズンを狙いたいという人は、琉球海炎祭が行なわれる4月もおすすめです。この時期には、すでに海開きしている地域もあり、また台風などの天候の心配も夏や秋に比べて少ないのも嬉しいところ。暖かな春を味わいに沖縄を訪れてみてはいかがでしょうか。

春から冬まで年中楽しめる熱海の花火大会

熱海と言えば温泉地として有名ですが、1年を通して花火を見ることができるのが熱海海上花火大会。年間の開催回数は10回以上にものぼり、毎回3,000発以上もの花火が打ち上げられます。

1949年(昭和24年)に起きた台風被害やその翌年の大災害による街の復興を願い、1952年(昭和27年)に開催されたのが始まりでした。これまでに開催された総回数は70回以上。会場は、3方向が山に囲まれているため花火が打ち上げられると、大きな花火音がドーンと反響します。まるでスタジアムにいるかのような迫力ある音響を体感することが可能。

そして熱海海上花火大会の代表格とされているのが、フィナーレを飾る「大空中ナイアガラ」です。暗い夜空を真昼のように明るく照らし、全長1,000mにもわたって打ち上げられる様子は感動すら覚える程の美しさ。花火を楽しんだ後は、宿でゆっくりと温泉に入ったり、おいしい料理に舌鼓を打ってみたりといった楽しみもあります。

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春にも、日本中で様々な祭りが繰り広げられます。この季節特有の人々の思いが詰まった祭りや、長い伝統を誇る祭りなど、個性的な祭りが多い季節でもあります。

青い鯉のぼりプロジェクト(3月11~5月5日)

青い鯉のぼりプロジェクト(3月11~5月5日)

日本人が忘れることのできない2011年(平成23年)3月11日。そう、東日本大震災が発生した日です。1,000年に一度と言われる程の大きな津波により、東北地方を中心に甚大な被害に見舞われたことは、まだ記憶に新しく残っています。多くの人々が犠牲になる中、まだ幼い数多くの子どもたちも自然の脅威により亡くなりました。

大震災以降、宮城県東松島市で毎年3月11日から端午の節句の5月5日まで開催されている「青い鯉のぼりプロジェクト」は、震災によって短い命を終えてしまった子どもたちが天国で寂しくないようにするために青い鯉のぼりを掲揚するイベントです。

この発祥は、東松島市の当時高校2年生だった青年が、瓦礫となった自宅の庭からひとつの青い鯉のぼりを発見したことから始まりました。震災で亡くなった5歳の弟が愛していたこの鯉のぼりを掲げたことを皮切りに、全国から青い鯉のぼりが次々と集まってきて、天国の子どもたちのみならず復興に挑む東松島の市民たちに向けたエールのシンボルとなっていきました。2011年(平成23年)に204尾だった鯉は年々増え続け、2016年(平成28年)ではこの年だけで1,021尾もの鯉が新たに掲げられる一大イベントへとなったのです。震災で亡くなった人たちへの鎮魂と、復興にかける人々への励ましの思いが、壮大な青い鯉のぼりの群生となって春の空を泳ぐプロジェクトです。

家康行列(4月第1または第2日曜)

徳川家康が生まれたと伝えられる愛知県岡崎市では、毎年4月の第1または第2日曜日に、徳川家康を始めとした三河武士団や姫列などによる時代行列「家康行列」が開催されます。岡崎市街地北部にある家康にゆかりの深い伊賀八幡宮で出陣式が執り行なわれ、岡崎城近くの乙川(おとがわ)河川敷までのおよそ3kmを練り歩くパレードで、総勢800名以上による豪勢な行列です。

行列の先頭は、家康が幼名・竹千代を名乗っていた頃からスタート。甲冑を着飾り竹千代と家来に扮した小学生たちによる集団のあとには、家康の母親・於大の方(おだいのかた)や正室・築山御前(つきやまごぜん)、娘の亀姫や孫娘の千姫など、家康にかかわりの深い女性たちが車に乗ってパレードを行ないます。そしていよいよそのあとには、家康を支えた「徳川四天王」と呼ばれる有力家臣たちがそれぞれ馬にまたがって登場し、白馬に乗った徳川家康を先導。この行列の歴史上の人物たちに扮するのは、一般公募による市民であることが通例ですが、2016年(平成28年)の岡崎市制100周年を記念した年などには、著名な俳優が徳川家康役を演じるケースも見られています。

この家康行列が行なわれる4月の上旬は、ちょうどサクラが美しい季節と重なることもあり、沿道には多くの市民が駆けつけ祭りを盛り上げます。2016年(平成28年)には、岡崎市の人口がおよそ38万人であるのに対して、家康行列の来場者数はおよそ46万人と、数字上はほぼすべての市民がこの行列を観賞するために参加していることに。名実ともに家康行列は、岡崎の街に春の訪れを告げる人気行事であると言えるのです。

博多どんたく(5月3日・4日)

福岡市で毎年5月3日と4日に開催され、2日間の来場者数が200万人を超える程の大規模な祭りが「博多どんたく」です。現在の正式名称は「博多どんたく港まつり」であり、福岡のみならず日本を代表する祭りのひとつに数えられています。

その起源は古く、遡ること戦国時代末期の1595年(文禄4年)。筑前国(現在の福岡県の一部)の領主・小早川秀秋のもとへ、博多の町人たちが新年の福を祝う芸事「松囃子(まつばやし)」を仕立てて参ったことが最古の記録とされています。その後、江戸時代になると「松囃子」は福岡城の藩主・黒田家への正月の表敬訪問として形を変え、さらに明治維新後には紀元節である2月11日を祝う行事へと変節していきました。1939年(昭和14年)以降、「松囃子」は一旦行なわれなくなりますが、太平洋戦争が終わった翌年の1946年(昭和21年)5月に「博多復興祭」として「松囃子」が復活します。これが契機となって福岡市や地元の商工会議所、商店街、市民などの手によって「博多どんたく」として「松囃子」が盛大に開催されるようになり、福岡の5月の祭りとして定着していくこととなったのです。

現在の「博多どんたく」は、「松囃子」の一行が福岡県庁や福岡市内の企業、博多駅など市内を表敬する他、「どんたく隊」と呼ばれる隊列による様々な演舞が披露され、2日間とも朝から夜まで盛大に執り行なわれる祭りとなっています。まさに福岡の街が一体となって盛り上がる大変賑やかな祭り。一度は参加してみたい春の祭りのひとつと言えます。


穏やかな気候と咲き誇る花々が、春の訪れを感じさせてくれます。そんな春にふさわしい華やかな祭をご紹介しましょう。

春の高山祭(4月14日、15日)

春の高山祭(4月14日、15日)

例年4月14日、15日の2日にかけて、岐阜県高山市で開催される春の高山祭。京都の「祇園祭」、滋賀の「長浜曳山祭」と共に「日本三大曳山祭り」に選ばれています。「曳山(ひきやま)」とは、祭の行列に使われる「山車(だし)」のこと。高山祭は、この山車が美しい祭として知られています。

春に開催される「山王祭」と秋の「八幡祭」があり、この2つの祭の総称が「高山祭」です。高山に春の訪れを告げてくれる「山王祭」は、旧高山にある城下町のうち、南半分の氏神様である「日枝神社(山王様)」で開催されます。詳しい時期は明らかではありませんが、その歴史は古く、1652年(承応元年)頃にはすでに行なわれており、煌びやかに飾り付けられた美しい山車の「屋台」が最大の見どころです。

また、祭の舞台でもある安川通りの南側には、工芸品としての評価も高く、国の「重要有形民俗文化財」にも指定された屋台12台がズラリと並び、そのうち3台の屋台が「からくり奉納」を行ないます。幾本もの網を操って人形を遠隔操作する「からくり奉納」ですが、あたかも人形が自分の意志で動いているような巧妙な動きをするため、観客の歓声や拍手で溢れます。この「からくり奉納」は、14日と15日の両日、午前と午後の1日2回のみ開催されますが、「高山祭」の見どころのひとつであるため、非常に混雑します。訪れる場合は、できるだけ早めに行くなど、準備をしておきましょう。

夜になると、各屋台はそれぞれ100個もの提灯を灯し、夜の高山を飾ります。昼の絢爛豪華な屋台とはまた異なり、艶やかな夜の屋台に魅了されます。

雨が降った場合は、残念ながらほとんどの屋外行事は中止となりますが、「からくり奉納」に関しては、各屋台蔵の中で予定通り実施されることもあるため、天気が怪しいときは、あらかじめ確認してみましょう。

深大寺だるま市(3月3日、4日)

毎年3月に開催される「深大寺だるま市」は、「毘沙門天大祭だるま市(びしゃもんてんだるまいち)」と「高崎だるま市」とともに、「日本三大だるま祭」に数えられ、正式名称は「厄除元三大師大祭(やくよけがんざんだいしたいさい)」といいます。「深大寺」とは、東京都調布市にある天台宗別格本山の仏教寺院で、733年(天平5年)に法相宗の寺院としてはじまり、859年(貞観元年)に現在の天台宗に改修されました。東京では浅草の浅草寺に次ぐ歴史を誇っており、釈迦堂に安置されている「銅造釈迦如来倚像(どうぞうしゃかにょらいきぞう)」は、白鳳時代の仏像として国の「重要文化財」に指定されています。このような歴史ある深大寺で開かれる「だるま市」の祭は300年以上続けられており、毎年300店あまりの露天が並び、10万人以上の人が訪れる都内でも最大級の市です。

だるま市で最大の行事が「お練り行列」。まるで平安絵巻のように真っ赤な法衣を身に付けた僧侶たちが境内を練り歩く様は、厳粛でまさに圧巻。厳かな気持ちになれます。

また、露天ではだるまが購入でき、希望をすると境内のだるま開眼所で、左目に梵字(ぼんじ)の「阿」の文字を入れてもらえます。この「阿」の文字は、梵字の始まりの文字で、この文字を入れることでだるまに魂が入り1年間守ってくれると言われています。同時に、1年飾った昨年のだるまの右目には「吽」という文字を入れてもらいます。これは梵字最後の文字で、物ごとの終わりを表しており、この文字を入れることでだるまは仏から置物に戻り、役目を終えて寺に戻るそうです。

露天でだるまを買う際のポイントは、小さめの物を購入すること。これは毎年だるまを購入していく際に、一回り大きな物を買うと縁起が良いとされているからです。はじめから大きなだるまを購入してしまったら、次の年に購入できるだるまの選択肢が狭まってしまいます。また、だるまは購入する際に値切ることも可能。実はだるまは値切れば値切る程縁起が良く、ご利益がある物だとされており、販売する露天も値切られる前提で販売しています。恥ずかしがらず思いっきり値切って、縁起物を手に入れましょう。

花火の日(5月28日)

毎年5月28日は「花火の日」に制定されています。これは1733年(享保18年)のこの日に、日本で初めて両国で花火大会を行なったという記録に由来しています。

当時の江戸では、コレラなど疫病が流行し、大飢饉によって多くの人が亡くなるという惨事が起き、人々は混乱していました。そんな状況を見て、犠牲になった人への供養や悪病退散の意味から、当時江戸幕府8代将軍であった徳川吉宗が、川開きの日に「水神祭」を実施。その際に花火が打ち上げられたことが、現在の花火大会のルーツとなったと言われています。

「両国の川開きの花火」と呼ばれたこの花火大会は、1961年(昭和36年)まで続けられ、その後交通事情の悪化などの理由で開催されなくなりましたが、1978年(昭和53年)に「隅田川花火大会」に名を変えて復活。この「隅田川花火大会」は、毎年テレビ東京によりテレビ中継が行なわれるほど大きく豪華な花火大会で、今も昔も人々に愛され続けています。


暖かい陽気に誘われて、全国各地で春を告げるお祭りが開かれます。

ここでは古くから伝わる古都の伝統行事を紹介します。

東大寺お水取り(3月12日)

東大寺お水取り(3月12日)

漆黒の闇に、赤々と燃え上がる松明の炎が象徴的な、奈良・東大寺のお水取り。東大寺二月堂で毎年行なわれる行事のひとつで、正式には「修二会(しゅにえ)」と言い、旧暦2月1日から行なわれた国家安泰と国民の幸福、五穀豊穣を祈願する法会を意味します。二月堂の名称もこれに由来しています。毎年3月1日から14日まで11人の練行衆が、二月堂に上がって厳しい本行を行ない、毎夜高さ6mもの巨大松明に火を灯して声明(しょうみょう)を唱えながら祈りを捧げます。クライマックスは12日の深夜で、二月堂に籠松明がたかれ、練行衆が祈りの合間に二月堂下にある若狭井に水を汲みに行きます。これがお水取りの儀式となっており、汲み上げた水は「香水」と呼ばれ、本尊に供えられます。お水取りの儀式は、奈良時代から続いており、1,300年近く経った現在でも途絶えたことがないとされています。

本行が終了した15日には、行事に使用された金襴の帽子を幼児に被せる儀式が行なわれ、被せられた幼児は、健やかに育つと言われることから、大勢の家族連れが訪れます。この行事が終わる頃には、奈良に春がやって来るとされ、春を告げる行事として、全国的に知られています。

葵祭(5月15日)

葵祭(5月15日)

毎年5月15日に行なわれる葵祭は、京都三大祭りのひとつで、平安絵巻が繰り広げられる優雅な祭りです。賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ=下鴨神社)と賀茂別雷神社(かもいかずちじんじゃ=上賀茂神社)の例祭で、「賀茂祭」「北の祭り」とも言います。平安時代から国家行事として続いており、王朝風俗の伝統が残されている数少ないお祭りです。葵祭と呼ばれるようになったのは江戸時代からで、衣冠や御所車、牛馬まで雷除けの葵の葉で飾ることから、そのまま通称となりました。

約1,400年前の欽明天皇の頃に、天候が荒れて農作物が実らなかったので、賀茂の大神の崇拝者である卜部伊吉若日子を勅使として例祭を行なったところ、風雨は治まり、五穀豊穣となったことが起源とされています。819年には国家行事として重要な例祭とされました。

祭りの見どころは、「路頭の儀」と呼ばれる王朝衣装を身にまとった華やかな行列で、京都御所で神事を済ませたあと、下鴨神社、上賀茂神社に向かいます。勅使、検非違使、内蔵使、牛車、齊王代など、平安貴族の姿で作る行列は、牛馬50頭余り、総勢500余名にも及びます。下鴨・上賀茂両神社で、勅使が宣命を奉じたあとは、古式に則った儀式が行なわれます。