
毎年新緑が鮮やかな5月初旬に、寄居町を流れる荒川の玉淀河原と対岸にある鉢形城をメイン会場として行なわれる祭典が「寄居北條まつり」です。最近の歴史ブームで注目される戦国武将や刀剣、甲冑などの武器が多数登場し、火縄銃の銃撃や大砲の発砲、北條軍と豊臣軍にわかれ合戦を行なうシーンや、総大将同士の一騎打ち再現シーン、忍者軍団の華麗な忍術や演舞など、戦う場面の様々な演出はとてもリアルかつ勇壮で迫力があります。地元の埼玉新聞やテレビのニュースでも報道される程に有名な祭りであります。また勇壮な戦闘シーンだけでなく、レプリカですが甲冑を身に纏い武者が行列をなして町内をゆっくりと行軍する姿は風情があってとても良いですよ。なお、武者行列への参加には制限がなく応募が自由で、老若男女・国籍も問いません。なかでも町内の幼稚園生がつくる、ちびっ子忍者の行列はとても可愛いくて、観客に大人気です。また、仕事や学業で寄居近郊に住む外国人の方々もチームを組んで参加されていて、日本と海外の国際交流の場にもなっていて感心しますし、北條氏に縁がある各市町村の武者チームも参加されて、地方行政間の交流や地域活性化を互いに協力している姿は素晴らしいです。なお、何故に「北條祭り」と言われるかと言うと、戦国時代に小田原北條氏の直系「北條氏邦(うじくに)」が領主として居城である鉢形城を寄居に築き治めていました。北関東と本家の小田原、上州や甲斐、信州などを結ぶ交通の要所である鉢形城は北條氏の出城としては最大規模のお城であったようです。そして歴史上でも有名な、豊臣秀吉による「小田原北條攻め」の際には、鉢形北條軍に対し、豊臣方の北国軍を預かった「前田氏・上杉氏・真田氏」の有名な3大名が攻め込んで来ました。鉢形北條方は籠城して大軍に立ち向かったのですが、善戦及ばずに最後は大将の北條氏邦が人質となり開城したようです。戦に負けた際にある悲劇として、城の姫様や勤めていた女中達が、城の眼下を流れる荒川の激流に身を投げたとの悲話も伝わっています。そのような史実を知り得て参加する祭りは格別の感情が宿りますよね。歴史ロマンが満載の「寄居北條まつり」に是非一度、お越しください。